【今は無き絶メシ店】【閉店】きらく

No.17

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“看板を下ろした名店”の店主が語る

「あの店こそ、人生そのもの」

絶メシ——それは高崎市内に数ある飲食店の中で、「この店がなくなったら、この味が完全に消滅してしまう」という希少価値の高い絶滅危惧種的な店のことを指す。我々絶メシ調査隊のミッションは、そんな高崎市の絶メシの実態を調査することなのだが、今回取材する「きらく」は、少し事情が異なる。

実はここ、つい先日、本当に閉店してしまった店なのだ。

(取材/絶メシ調査隊 ライター田代くるみ)

今はなき名店 その歴史をたどる

写真ライター田代

「みなさんごきげんよう、絶メシ調査隊の田代です。今回の絶メシ調査は、とんかつの名店『きらく』さんなのですが、実は我々が以前実地調査で足を運んだ際、ちょうど『閉店のお知らせ』の張り紙を見つけてしまったお店なんです」

そう、昭和40年に開店した同店は、今年の6月末に惜しまれつつ閉店してしまったのだ。なぜ、きらくは“惜しまれつつ”も閉店してしまったのか(人気店だったということを考えると単純な経営不振でもなさそう)。もしかしたら、同店に話を聞けば、高崎の絶メシ店が直面している問題の一端が垣間見れるのではないだろうか。

というわけで、今回はそんな『きらく』を切り盛りして来られた友光孝雄さんと柳沢茂さんにインタビュー。お店の歴史、閉店の理由、そしてもし未来があるのならば『きらく』の復活はありうるのかなどを聞いた。

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「きらく」を切り盛りしていた友光孝雄さん(左)と柳沢茂さん(右)。お二人は義兄弟で、友光さんは柳沢さんの奥様のお兄さんだ

おふたりとも肩の荷が降りたかのような柔らかい表情である。まずはお店の成り立ちから伺った。

写真友光さん

「オープンしたのは昭和40年。今から52年ほど前のことになります。私を含めた友光家は東京・池袋に住んでいて、父は寿司職人をしていました。私はというと、高校は國學院大学の付属高校に通っていて、卒業後はそのまま國學院大学に行って大好きな芝居でもやろうと思っていたんです。ところが、ある時父の親戚から『高崎に余っている土地があるから、引っ越して来ないか』と、父に声がかかりました。そして、父はその話に乗り、一家の高崎への引っ越しが決定。連雀町でとんかつ屋を始めることになったんです」

写真ライター田代

「なるほど。寿司職人だったお父様はなぜ、とんかつ屋をやることにしたのでしょうか」

写真友光さん

「それは私も分かりません。“新天地”は、昔あった藤五やスズランデパートの近くで、高崎の繁華街の中でした。当時は今みたいに郊外に店ができていない時代でしたから、高崎の街中はすごく栄えていて、買い物や食事のためにたくさんの人で賑わっていたんです。そして飲食店が連なる繁華街でも、とんかつ専門店は珍しかった。とんかつの店にしたのは、そんなところでしょう」

写真ライター田代

「友光さんは高校生の多感な時期にいきなり東京から高崎に連れてこられたということですよね。大学も付属で進学できたのに、それも叶わなくなったわけで。抵抗はなかったのでしょうか」

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写真友光さん

 

「まぁ、そんなに抵抗感はありませんでしたよ。でも、当時はやっぱり大学に行きたい気持ちもあって、高崎経済大学を受験もしてみたんですが、難しくて撃沈。芝居もしたかったけれど、気づいたら父と職人の人と3人で『きらく』をやることになっていました」

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現在も高崎の劇団「ろしなんて」に所属するほど、演劇好きの友光さん

写真ライター田代

「なるほど。それから『きらく』の歴史がスタートするわけですが、柳沢さんがお店を手伝われるようになったのはいつ頃だったのでしょう?」

写真柳沢さん

「手伝い始めたのは、自分が24歳くらいの時でした。それまではしがないサラリーマンをやっていたんですが、妻と結婚して『きらく』を手伝うようになって。僕は大して飲食店の経験もなかったので、出前やキャベツ切りからのスタート。てんてこ舞いでした。そして、お店自体も高度経済成長期で景気が良かったこともあってか、大繁盛でね。いやぁ、あの時が一番忙しかったかなぁ」

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奥様の死、閉店、そして店の再開

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「あの頃は本当に休む間も無いほど忙しかったですね」と振り返る友光さん。

そんな大繁盛店として18年ほど営業を続けたころ、大きな転機が訪れる。区画整理のため店を立ち退かなければならなくなったのだ。

写真友光さん

「あまり離れるのもなんなんで、同じ連雀町の中で店を引っ越しました。けれど、その引っ越し先がちょっと分かりづらい場所でね。駐車場も近くになければ、おまけに街中から郊外に人が出て行く時期だったから、なかなか店に人が来ない。どんどんジリ貧になっていきました」

写真柳沢さん

「お店がうまくいかなくなり、それに加えて今から10年前、平成19年に私の妻が亡くなりまして。妻が他界したことで、いよいよお店を続けることが難しくなりました…」

人を雇う余裕もなく家族経営でなんとかやっていたお店。とんかつを揚げるもの、キャベツを切るもの、オーダーを取るもの、料理を運ぶもの……それぞれにこなさなければならない役割があったため、一人でも欠けると営業自体が困難になる。きらくは創業以来の危機を迎えることとなった。

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10年前の奥さまの他界と閉店について語る柳沢さん

写真柳沢さん

「もう、為す術はありませんでした。なので、妻が他界したタイミングで一度リセットすることにしたんです。一度、お店を閉めようと」

きらくは、今回の閉店の前に、10年前に一度閉店をしている。復活のエピソードは後述するとして、お店を再開するまでおふたりはなにをしていたのだろうか?

写真友光さん

「まぁ、お店は閉めても収入がないと生きていけませんからね。私は飲食と全然関係の無い仕事をしてみようと思って、工場で働きました。しかし、これがまた運が悪くリーマンショックと重なって、パートだった私は人員整理でクビになってしまった。その後は友人の紹介で和風レストランの調理場で働いていました」

写真柳沢さん

「僕はシルバー人材センターで働いていました。店をやっていた頃に比べると、うんと楽チンでしたね(笑)。労働時間も1日4時間程度。それに元々僕は両膝の半月板を手術しており、できるだけ立ち仕事はしたくなかったので、立ち仕事じゃないってだけで気が楽でした。もう、このまま余生を、と思っていたある日、突然彼(友光さん)から『もう一回店をやろう』と声がかかったんです」

写真ライター田代

「復活の狼煙!」

写真柳沢さん

「そう。でも僕は正直、もうやりたくなかったんですよ(笑)」

写真ライター田代

「なんと(苦笑)」

写真柳沢さん

「だってしんどいことは分かっているし、再開できたとしてもせいぜい3~4年のこと。彼も股関節を痛めていたし、お互いボロボロだった。本音を言えば、もうよそうよって思っていました」

写真友光さん

「フフフ」

写真ライター田代

「友光さん、笑ってますけど」

写真柳沢さん

「もう彼はやる気まんまんだったから。それに、彼から『いい物件が見つかった、もう一度やろう』と言われたら、断れないじゃない(苦笑)。絶対一人でやるのは無理だって分かるからさ」

写真ライター田代

「運命共同体ですね」

写真友光さん

「フフフ」

足をひきずりながらの接客
それでも二人が再出発したわけ

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新しい店舗は繁華街からは離れた郊外を選んだ。友光さんの言葉を借りるなら「それはもうひっそりとオープンした」という。数年のブランク、また新しい調理場は勝手が掴めない。いきなり多くの客に対応できるだけの自信がなかったため、あえて中心地から離れた場所での営業再開となった。

写真友光さん

「宣伝も広告も一切無し。昔の常連さんにポツポツ来てもらえたらいいな、くらいに思っていました。だっていっぱい来られても対応できないから」

写真柳沢さん

「最初はお客さんも少なくてね、これだったらできるかなと思ってたんですよ。ところが、ある時、上毛新聞がつくっている『タカタイ』という冊子に載っちゃってね。意外と早くにお店の存在が知られてしまって、それからまた忙しくなっちゃった(苦笑)」

写真ライター田代

「みんな待ってたんだと思いますよ」

写真柳沢さん

「うれしいことですけどね。でも、やっぱりお互い身体がキツくてね。日々、戦いでした。ホント、よく(再開から)7年も続いたと思いますよ」

写真ライター田代

「ということは、今年6月にお店を閉めたのも、体力的な限界を感じられたからですか?」

写真友光さん

「そうそう。お互い足を引きずって接客していましたからね(笑)」

写真ライター田代

「笑ってますけど、結構壮絶なエピソードですよ、それ」

写真友光さん

「よく周りから『後継者は?』って聞かれることもありますけれど、こんな大変な商売を勧める気にはなれない。それくらい大変なんです。とは言っても、私はひっそりチャンスがあればもう一度『きらく』をやりたい、という思いはありますよ。あのお店は私にとって人生のようなものですから」

写真ライター田代

「おー! まさかの再・再開ですね! 柳沢さんはどうですか?」

写真柳沢さん

「いやぁ、僕はもう……。まぁ、膝が治っていれば、ですかね(笑)」

惜しまれつつものれんを下ろす選択をした、とんかつの名店「きらく」。しかしまだ幕は完全には降りていない。「チャンスがあれば、またとんかつを揚げたい」という友光さんの言葉を信じよう。また、あの味に出会える日まで。

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取材・文/田代くるみ
撮影/今井裕治

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