豆の品質も料理も妥協なし!
豆の品質も料理も妥協なし!
農場や生産者にこだわるシングルオリジンコーヒーは当たり前となった現在だが、40年以上も前から、産地や農場を選びぬいた本物の豆だけを焙煎し抽出する店が高崎にあった。その名は「きゃらばん」。看板のポップな文字の店名とは裏腹に、店主の愚直な性格から自家焙煎や抽出だけでなく、料理にもただならぬこだわりがあった。
一杯のコーヒーに出会ってから
人生が変わってしまった男の話
「喫茶店がとっても大好きなライター船橋です。うふ。……ふわふわ系女子風に登場してみましたが、締め切りに追われる地獄のような毎日を過ごしています。そんな中で、コーヒーの香りこそが最高の心の癒しなのですよ」
本当はふわふわ系女子になりたいライター船橋が、今回訪れたのは自家焙煎珈琲の店「きゃらばん」。なんでも事前情報によると、コーヒーはもちろんのこと、メシもうまいというのだ。
うまいメシとコーヒーを求めて、ワクワク&ドキドキしながら扉を開けると広がるカウンター。そしてそこに待ち受けていたのは、店主の園部恵さんだ。
ひと目見ただけでもわかる、この重鎮具合! これはどエライことになりそうだ…。そんな思いはこの後まさしく的中するのだが、そこにはただならぬ苦労と努力、そして強いこだわりがあったのだ。
ここ「きゃらばん」が創業したのは、1976年のこと。会社員だった恵さんがコーヒー屋さんになるきっかけは、富岡から高崎に通勤していたときの“ある出来事”がきっかけだったという。
「昔、高崎の駅舎にコーヒーのスタンドバーがあったんです。当時サラリーマンだった私は、そこで毎日トーストを食べてコーヒーを飲んでから会社に通ってました。ところが、1年通った中で1日だけ、ものすごいうまい日あったんですよ。なんとなく飲んでいたコーヒーだったのに『今日のはなんなん!? 』というくらいのおいしい日がやってきたんです!!」
「コーヒーがおいしい日、ですか」
「そう。豆の状態、コーヒーを淹れる人、私の体調、この三つの要素というか三角の頂点が、たまたまこの日だったんでしょう」
「“私の体調”ってのがうまいコーヒーの3大要素に入るのですね。ちなみに、それってどんな味だったんですか?」
「んー、言葉にできないなぁ。でも飲んだ瞬間、ビビビって電流が走りました」
恵さんは、当時19歳。この一杯のコーヒーをきっかけに、自分もこの世界で生きていきたいと突然思うようになったという。しかし、現在の奥さまでもある幸子さんと結婚していたこともあり、稼がなければならない。とりあえず勤めていた会社を辞め、トラックの運転手になることに。なぜトラック野郎に?
「だって仕事で全国を回れるし、究極の1杯の味に出会えるかもしれないじゃん」
「(おいおい、マジかよ)」
「結局、その後も6年半、トラックに乗りました。でもトラックって町中に入って行けなかったりするんです。デカいから。だから、途中からはトレーラーに乗り換えて、国道のパーキングにケツ(コンテナ部分)だけ置いて、頭(車輌部分)だけで街中に入って、現地で聞いたうまいコーヒー屋に行くようになったんです」
「わ、わ、わ。そんな人います(笑)? それにしてもすごい執念ですね」
「東京の超有名店にも飲み歩きに行きましたよ。〇〇〇とか〇〇〇〇とか。でもどこも、自分の考えを押し付けているだけで、うまくはなかったです(キッパリ)。店で謳っている豆の品質と、実際のものが違うって店主に言って大ゲンカになったこともありますね。まぁそれ以来、行ってないですけど」
「それはいわゆる出禁というやつでは…」
「そうとも言いますね。ただ、どんなに飲み歩いても、19歳の時、電流が走るほどうまかった1杯に再び会うことはなかった。そこで決心したんです。だったら、自分でやろうと。そこから、自らで焙煎を始めるようになったんです」
素人がなんの頼りもなく、ひとりはじめた焙煎。しかし凝り性の性格も手伝い、自分の舌と独学で身に着けた技術を頼りに腕を磨くと、3年経った頃には納得のいく豆を焼けるようになったという。そして28歳のころ、現店舗の前に10坪ほどのお店をオープンさせた。
毒気の強い店主の真の姿は、
努力を積み重ねた苦労人
ブルーマウンテン、キリマンジャロ、ハワイコナなど30種類ほどの最高品質の豆を焙煎する「きゃらばん」。焙煎は豆の個性に合わせて200℃の低温でじっくりと、そして酸化を防ぐために小さな瓶に詰めて10日ほど熟成をかけていく。
「うちのコーヒーを飲んだら、他でも飲めないよ」——そう、自信たっぷりに語る恵さんのコーヒー。いつも飲んでいる大好きなマンデリンをオーダーしてみよう。
「まずこの香りをかいでみてください。その辺で売っているものとは全然違うでしょう。うち以外でこの香りはないですよ」
クンクンクン
「わぁ、確かにそうかも! 吸い込まれるような香りっていうか」
そして、人が最も味がわかるという低めの80℃のお湯で丁寧に抽出。この時使うのは、特注の手縫い厚手のネルドリップだ。
「この厚みのネルは、昔はあったけど今は売ってないから仕方なく特注で、柄も手作りです。これで淹れると、雑味がなくとても澄んだ味になるんですよ。さぁ、口に全体的にふくむように味わってください」
口全体に含む?
「おやおやおや…!!! 今まで飲んでいたマンデリンとマジで違うんですけど! 甘みの後に芳醇な苦味を感じるし、酸味がないっ」
「酸味は、ただ酸化したものでコーヒーの本当の味ではないんですよ。ほかのコーヒー屋に何百軒と行ったけど、コーヒー自体の酸味を出せている店はないですね(断言)」
「もっと言うと、私の中では、浅煎りのフルーティなコーヒーは、コーヒーじゃないと思ってますので」
「あ、はい(無だ。無になるのだ)」
自らの味への確固たる自信。そしてコーヒーへの熱すぎる思い。恵みさんのあまりの意思の強さと、お腹から出されているだろう大きな声に圧倒され、メドゥーサによって石にされたかのように固まるライター船橋。間違っても、このコメントに「そうっすよね!」とか乗ってはいけない。私はグルメライターなのだ。次も取材があるのだ。
そう心の中でつぶやく船橋に、奥さまの幸子さんがこっそりこう教えてくれた。
「あの人、毒気が強いでしょう? ごめんなさいね。でもね、本当はすごく苦労人なんですよ。赤ちゃんの時にお母さんを亡くして、小2でお父さんも亡くなって一匹オオカミで育ってきた。自分では言わないけれど、想像を絶する人生だったと思います。私と出会ったとき、19歳だったけどもうおじさんみたいでした(笑)。サラリーマンを辞めてトラックに乗ってコーヒーを飲み歩きしても、子供ができたら土地を買ってすぐに家を建てたし、私の両親が交通事故にあった時も誠意を尽くしてくれた。父は即死、母も意識不明でしたが、母を介護し、扶養までしてくれた。コーヒー屋になるなら料理メニューも作らないとって、トラックに乗りながら夜間で調理学校に通っていた。いつも前向きで猪突猛進で、がむしゃらに働いてくれた。感謝してもしきれないんです」
ダメだ、泣きそう。
ウマいのはコーヒーだけではない
こだわりオヤジの究極喫茶メシ
香り高きコーヒーを味わいつつ、流れ落ちそうな涙をふきつつ、気になっていたのは噂で聞いていた「きゃらばん」のうまいメシのこと。
「コーヒーごちそうさまでした。えっーと…、ごはんがおいしいって聞いていまして!」
「あー、こんな店だけど、ソースから手作りしている、それだけのことですけどね。とくにトマトソースは、研究に研究を重ねましたね。トマトペースト、トマトピューレ、ケチャップ、トマトホールに、セロリ、ニンジン、たまねぎ、にんにくを加えて煮込んで作ってます」
「コーヒーと同様、ごまかしはいやだと?」
「中途半端が嫌い。そういう性格なんです。でも最初のころは、コーヒーを飲んでもらう店だから、料理は別にいいやって思ってたんですけどね」
「それがいつしか変わったと」
「ええ。あるお客さんから『コーヒーはうまいのに食べ物は微妙だね』って言われたんです。だったら値段をさげてやろうって、当時の定食の半額くらいの価格にしたら、安いから味のことを言う人はいなくなりましたね。でも、安くして文句言わせないってのも、自分の性分にどうもあわない。結局、いろいろ作っているうちにまたこだわりたくなっちゃって、市場で直に仕入れたり、スパゲッティの麺もイタリア産のものを使うようになったりしてねぇ」
そんなこだわり屋の恵さんの料理、食べずにはいられない! というわけで、人気メニューをいくつかオーダー!
すると恵さんと幸子さんはキッチンへ。あうんの呼吸のごとく料理が完成していく。
まずはオムライスセットの登場だ~いっ。
割ってみたらこんな感じ!
もう我慢できない!
「ふわふわ系たまごに、さっぱりとしたデミグラスソース。たまらん、たまらん、たまらん~! 食べ終わった瞬間、ふわふわ系女子になっているかも〜(ならない)」
「半熟なのがおいしいでしょう? 普通に包んだんじゃおもしろくないからって、このウラオモ(裏表)にしたのは、うちの店が群馬で初めてなんですよ。お米も山形のつや姫を使ってます」
続いてポテトチーズセットのおな~り~!
「控えに言ってもかなりウマいですね」
「じゃがいもは、きたあかりを使ってます。男爵だと柔らかすぎてつぶれちゃうし、メークインだと水っぽいので。やっぱり素材も妥協できなくて」
「さすがっす。もう脱帽です(手を合わせる)」
「パンに挟んで食べる人もいますよ!」
「いやいやいや、ダイエット中だし、そんなデブの食い方は…」
ハフッ!
「最高。それだけ。あと言えることは…もう太っていいです」
そして〆のコーヒーゼリーもお忘れなく!
「ほどよい苦味で非常においしゅうございます(感涙)。ところでお店の今後ってどうお考えなのでしょうか?」
「後継ぎもいないので、我々で終わりです。孫がやりたいって言ってくれているけど、何年先になるかわからないですし、私の真似もできないと思うので難しいですね。とくにコーヒーの味は、自分でつかんでもらわないといけないものなので。私も自分の舌を頼りに自分の味を掴んでいったし、教わったらこういう味になるというものではないんです。高崎の駅舎で感動したあの味には出会えなかったし、作れるものでもなかった。だけど、自分の味を追求することができたし、もう満足はしています。もし継ぐことになっても、私が求めてきたように自分の味を出してほしい。人のマネではつまらないですから」
どんな時も前を向き、自分の味と技術を信じてお店を営んできた園部恵さん。どこまでもこだわり抜き、ブレることのないその姿はまさに圧巻だ。そんな店主が焙煎し淹れる1杯と、試行錯誤して完成させたメニューは、忘れられない味になるに違いない。