朝5時から営業のサンドイッチ屋 “激やわサンド”爆誕秘話
最近のサンドイッチはやたらとおしゃれである。(サンドイッチの)断面がやたらフォトジェニックだったり(インスタ映えってやつ?)、ベーグルとかクロワッサンとかちょっと生意気なパンに、生ハムとかアボカドとか生意気な具材を挟んだものだったり。絶メシ調査隊的には、そんなものにはピクリともしない。我々にとってのサンドイッチってのは、食パンにオーソドックスな具材を挟んだアレのことである。そんな王道サンドイッチ専門店が、高崎駅から徒歩数分の場所にある。しかも“激やわ”なパンがくせになる逸品で、営業時間は朝5時からというガッツ溢れる店だという。これは、もう取材するしかあるまい。
早朝5時からの営業
きっかけは「酔っぱらい」
「全然忙しいわけじゃないのにひたすら怠惰なおかげで昼夜逆転生活が続いて早数年、早朝に腹が減ってコンビニに足を運んでは適当なモノで胃袋を満たしつつも心は空っぽのままの田中です。早朝から心のこもったものを食べたい……。そんな人にぴったりな、早起きで手作りのお店があると聞いてやって参りました」
周囲を駐車場に囲まれた中に建つサンドイッチの店「ピクルス双葉町店」。もう見るからにあのタイプのサンドイッチが、しかも絶対にお店手作りの心のこもったあのサンドイッチが食べられるであろうことが外観からもビシビシ感じられる。
ちなみに群馬県内にある「ピクルス藤岡店」と「ピクルス渋川店」は、こちらの元スタッフさんが経営しているが、支店ではなくあくまで同じ店名を使用しているだけとのこと。金子慎一さんと岸子さんご夫妻が切り盛りしているここ、双葉町店こそが“元祖ピクルス”だ。
個人経営で朝5時からやっているサンドイッチ店「ピクルス双葉町店」。この店の始まりは約45年前に遡るという。金子さんはこう振り返る。
「父が会社を始めたんですよ、45年ほど前だったかな。スーパーとか、小さな食用品店に卸すサンドイッチ専門の会社でね。その5年後に栄町に空き店舗ができたんで、じゃあお前が店をやれと父に任されてピクルスを開店することになりました。当時、僕は19歳でしたけど」
「19歳で店長ですか!」
「ええ。店の近くに予備校があって、お客さんのほとんどは(年の近い)そこの生徒さんでした。年中無休で朝8時から夕方5時まで営業してましたけど、そういう働き方は若かったからできたんじゃないですかね」
「いや、僕は若いときでもそんな働き方できませんでしたよ」
「(スルーして)栄町では10年続けて、30年前にここに移転してきました。こっちでも最初は同じ営業時間でやってたんですけどねぇ。どういうわけか、朝5時にあけることになってしまって」
「そんな仕方なく、みたいな言い方(苦笑)。どういう理由でそんな朝早くから開店することになったんです?」
「いや、朝8時でも作業を始めるのは夜明け前からやってるんですよ。暗い時間帯から仕込みをやってると、飲んだ帰りの人が入ってきちゃうんですよね。『あれ、もうやってるの?』なんて言ってね。準備中だって言っても、酔っ払ってるから聞いてくれないんだよね」
「うわー…すげぇめんどくさいやつですよ、それ」
「そうやって最初はひとり、次のまたひとりと対応してたら、評判が評判をよんで明け方にたくさん酔っ払いが来るようになってね。酔った人たちってたいていタクシーで乗り付けるんだけど、ハロウィンのときなんて、朝から仮装してる人たちがやってきて店内がえらく派手になるんですよね。で、いっぱい来るもので、仕方なく朝5時から開店することにしたんですよ」
「なし崩し的すぎる…」
仕込み開始は午前2時
閉店後も食材のため東奔西走
「それだけ開店時間が早いと、仕込み時間も早くなりますよね」
「そうですね。夜8時頃には寝て、午前1時40分頃に起床、午前2時とか3時からジャガイモ茹でたり卵茹でたりツナ作ったりしてますよ」
「思った以上に早起きでした」
「妻と二人だけでやってるから時間かかるんですよね。で、5時に開店して午後2時閉店。店じまいは早いけど、閉店後には翌日分の材料の仕入れがあるんですよね」
「えっ、それもご自身でやられてるんですか?」
「そう。以前は一括で同じ店から配達してもらってたんだけど、日によっては青いトマトが来ちゃったりする。そんなの商品としてうちは出せない。文句を言いたいけど、毎日同じ業者だから文句も言いづらいじゃないですか。なもんで、野菜とかは自分で探すようにしてるんです。よそのパン屋さんたちと情報共有して、『今日はどこそこのジャガイモがいいよ』とか『今日はあそこのレタスが買い』とか聞きながら毎日あっちこっち探し回ってますね」
もう一度、念のため書いておくが、金子さんは朝1時40分に起きて、14時まで店頭で働き続けている。そして閉店後も、人に任せるのではなく自ら食材の買い出しのため奔走しているのだ。相当のガッツマンというほかない。
「これだけいろいろな種類のサンドイッチを用意していると、材料の仕入れ状況によっては出せない商品もあったりもするんじゃないですか?」
「いえ、それはないです。材料は必ず仕入れて基本的に全商品を毎日出しています。なので仕入れ価格が嵩んだら大赤字。でも野菜サンドなんて、トマトとキュウリがまずかったら食べられないですからね」
「仕入れ価格次第で商品の値段を動かしたりしないんですか?」
「完全に固定です。もう何年も、どの商品も値上げしてないんじゃないかな」
“激やわサンド”誕生は
東日本大震災がきっかけ
「あのめちゃくちゃやわからいパンがくせになる」。ピクルスのサンドイッチを愛食するファンは口を揃えてそう言う。しかし、実はピクルスのサンドイッチが“激やわ”になったのは、そんなに古い話ではない。金子さんはこう語る。
「お客さんに評判のやわらかいパンは2011年の東日本大震災をきっかけに誕生しているんですよ。パンに関しては昔から、同じ業者から仕入れているんですけど、大震災の直後、業者が材料を仕入れられなくなっちゃって、パンの供給が止まっちゃったんです。パンが入らないんじゃ、うちもやっていけない。こりゃ店をたたむしかないかなと思っていたら、半月ぐらいしてパンが届くようになったんですね。で、届いたパンを持ったらすごいやわらかいんですよ。あれ、なんか違うのがきたかなと思ったけど、特になにも言われてないし、とにかくパンがきてくれたことがうれしくてね。あまり深いことは考えずに営業を再開したんです」
震災の影響で約2週間供給がストップしたというパン。以前からやわらかいパンではあったというものの、供給復活後は「切るのが大変なくらいやわらかくなっていた」(金子さん)と言う。しかし、金子さんはそこまで気にすることなく、以前と変わらず美味しいサンドイッチを作り続けることに邁進した。
「一日に何百個もサンドイッチ作ってても、気づかないものなんですね」
「そうですね。やわらかくて切りづらいから包丁を変えたりはしたけど。うん、それくらいのもんでしたよ」
「そんなもんですか」
「ただ、しばらく営業を続けてたらお客さんから『最近、パンが急に美味しくなったね』って言われましてね。それで食べてみたら、たしかに前のよりやわらかくて味もいいんですよね。これは驚きましたよ」
「えっ、お客さんに言われるまで食べたりしないものですか?」
「そりゃ、パンだけ食べたりはしないよね」
これぞ我々が追い求めた
本来のサンドイッチだ!
約40年やってきて「今がもっとも美味しい」と金子さん本人も認めるピクルスのサンドイッチ。金子さんとともに店を切り盛りする、奥さまの岸子さんに、オススメのサンドイッチをご用意いただこう。
「パンがやわらかいから、こぼれないように一気にいってね」
OK、サンドイッチマン!
誰がこぼすものですか!
貪るしかないよね。
「これは想像以上の柔らかさですよ。そして中の具材の塩加減、味付けも言うことないです。実にバランスがいい」
「チキンカツとハムカツはうちの手作りなんですよ。肉買ってきてパン粉つけてね」
「開店当時からやってるあんバターサンドも人気なんですよ。あとは三色サンド、イチゴサンド、生クリームサンドあたりが特に人気ですね」
「人気商品だと、昼過ぎには手に入らないものもあるんじゃないですか?」
「タイミング次第ですけど、基本的にはどんどん作って補充してるから大丈夫です。困るのは材料自体が切れちゃうときですね。すぐに補充注文は出すんだけど、卵なんかは茹でてから冷まして使えるようになるまで一時間ぐらいかかっちゃうから、ショーウインドウが寂しくなるタイミングはありますね」
継ぎたい人が現れたら
考えても…いいかな
「お店は40周年ですけど、金子さんご自身は59歳とお若いですね。まだまだ10年20年と続けられるのではないかと期待してしまうのですが」
「いやー、65歳で辞めてあとは年金で生活しようかなーと考えています」
「こんな人気店が、あと6年で!」
「やっぱりね、午前2時3時から仕込みでしょ。起きてすぐに火をつけてジャガイモ洗ってなんて生活してるわけですけど、夏場は灼熱でこたえるんですよ」
「たしかに、その働き方を続けるって大変ですよね…。では後継者とかは?」
「うちの子どもたちは違う仕事をしてるし、継ぐなんて話も出たことないからなあ。もしもやりたいと本人が言ったら考えるけど、それはないでしょうね」
「ではガッツのあるどこぞの若者がぜひ継ぎたいと言ってきたら?」
「その場合は(作り方を)教えてもいいかな。といっても、自分も父の仕事の一部として始めたけど、調理の腕なんかは特に教えてもらったわけじゃないですからね。包丁の使い方なんかも、自分が高校時代にバイトしてた寿司屋で身につけたものですし。そもそも、こんな大変な仕事したいって人いるかなぁ」
たしかに、話を伺う限り、そんじょそこらの若者じゃ無理な仕事かもしれない。しかし、卸の会社から始まり45年間、高崎の市民に愛され続けた極上のサンドイッチがなくなってしまうのはすごく悲しいこと。なんとか残ってほしいのだが……。
取材の最後、金子さんはこんな話をしてくれた。
「父は亡くなる前日までお店で働いていたんですよ。“じゃあ、また明日”って感じで帰宅したんですけど、翌日やって来ない。住まいが別だったんで家まで行ったら、亡くなってたんです。寝酒飲んでそのまま寝ながら死んじゃったみたい。医者も『死因はなんてしておきましょう?』なんて言うほどの死に方。まぁ、父はよく仕事をした人でしたけど、酒もすごく飲む人でね。酒飲みとしては最高じゃないですか」
自分もそんな死に方がしたいと言わんばかりに、そんなエピソードを口にする高崎のサンドイッチマン。お店があと6年続くのか、それともその前に閉まるのか、はたまたしばらく続くのかは誰にもわからない。ただ、お店のシャッターが開かなくなった時に悲しんでも、もう“あの味”は帰ってこない。
高崎市民のみなさん。毎朝とは言わないが、少しでもたくさん、ピクルスの激やわサンドイッチを食べに双葉町に足を伸ばしてみてほしい。たとえお酒に溺れた明け方に訪れたとしても、金子さんご夫妻は笑顔で迎え入れてくれるはずだ。