老夫婦が営む老舗食堂
老夫婦が営む老舗食堂
高崎市中心部から西方。浅間山、石尊山、種山の三山に囲まれた静かな町、下室田。その一角で半世紀も前から営業を続ける食堂「太洋軒」はある。店を営むのは75歳の大将と2歳上の奥さまのお二人。老夫婦の食堂と聞いただけで絶メシ調査隊的には胸が震える。そして、ここには、餃子がある。ただの餃子ではない。単に餡を皮で包んだモノを餃子と呼ぶのならそれはたしかに餃子だが、一口頬張り、走り出したくなるような高揚感、そして涙腺が思わずゆるんでしまうのは、餃子の域をはるかに超えたモノだ。この店の歩みに思いを馳せれば、味わい深さもいっそう増す。
「太洋軒」の50年をさかのぼる旅。いざセンチメンタル・餃子・ジャーニーへ!
各地で武者修行、25歳で開店
大将の関田洋さん。高崎で生まれ、小学校1年生まで母親の実家であるこの場所で育った。父親を戦争で亡くし、母親が再婚してからは家庭の事情により学校を転々とする。しかし、その経験が後の料理人人生の礎となった。
「中学卒業後、手に職をつけようと料理の道へ進んだね。まず住み込みの仕出し屋から始めて、デパートの食堂、ホテル……いろいろな土地で働いたよ。高崎を出て熱海や新潟の長岡へ行ったことも。そんなことを10年くらいやって、そろそろ落ち着こうかと25歳でカミさんと結婚。それでお袋も一緒にこの場所で店を始めた。そのころは兄弟も手伝いに来てくれて。メニューはこの辺りで受けそうなラーメンと餃子の2品でね」
ゆっくりした口調で言葉を選びながら話す大将。50年連れ添う奥様についても聞いてみた。
「そうだなぁ…若いときはケンカもよくしたよ。カミさんは農家の出で、飲食は素人。こういう商売をしたことがないから、今思えばワケも分からず大変だったと思うよ。オレも当時は口では言わないけど足が出ちゃったこともある。カウンターのお客さんからその様子が見えるらしく、よく言われたよ。『大将、足クセ悪いよ』ってね(苦笑)」
「ココをやる前はずっと洋食をやっていたし、一時期スパゲッティなんかも出してたんだけど、あまり受けなかった(笑)。今でこそスパゲッティの街だけど、当時はそうでもなかったからね。でもオムライスだけはよく出たよ。特に、近くにあった製糸工場の女工さんたちに人気でねぇ。今でもその人たちが孫を連れて食べに来てくれるんだ」
「たしかに当時からしたらオムライスってかなりハイカラで女子受けしそうですね! お孫さんまで一緒に連れてきてくれるなんて、すごくいいお話!」
「でもやっぱり一番人気は昔も今も餃子。餡を包むのはお袋の担当で、10年前に82歳で亡くなるまで毎日高崎の方から通って1個ずつ包んでたよ。今はカミさんがやってくれてる。せっかくだから食べていきなよ」
まるでマジック! 手首で包むんです
餃子といえば通常、ヒダ状になるよう少しずつ折り重ねて皮を閉じていくが、大将のやり方はまったく違う。右手首を土台にし、左手で皮を包み込むようにしてキュッと軽くひとつまみ! たったそのワンアクションで餃子の口がきっちり閉まるのだ。目の前で繰り広げられる、なんとも摩訶不思議な餃子マジックに見ているこちらも首をかしげっぱなし。
一瞬にしてこれ。
「このやり方? 母親の再婚相手が満州出身でさ、家でよく餃子を作ってくれたんだよ。それを見よう見まねで覚えた。具材は普通だよ。ニラ、白菜、キャベツ、長ネギ、挽肉、あとはニンニクとショウガくらい。知り合いの中華料理屋が教えてくれたとおりにやってる」
店内に響き渡る焼きの音、そして漂う香ばしい香り。待たされる時間もまた至福なり。
ロックオン!
まずはアムッと一口。焼き目から放たれる衝撃的なまでの「ガリッ」。のっけから目が覚めるようなカウンターパンチ。細かいが、よくある「カリッ」ではなく、本当に「ガリッ」という骨太な音が脳天を貫くのだ。それでいて他の部分はむっちりトゥルン。なんですか、この食感の振り幅は!
頬張ったまま、目を閉じて大きく息を吸ってみる。次の瞬間、ニンニクの野太い香りが押し寄せ、肉汁と野菜の甘みが混ざった魔法の液体がじわじわと溢れ出し、もうなんだか大声を発して走り出したくなるような高揚感に襲われる。これだよこれ。餃子はこれくらいインパクトがなくっちゃあ。そして最後はしみじみとした旨さを舌に残し、本体がすとんと胃に収まる。あゝ、ちゃ~んと作った餃子ってこんなに美味しかったんだなぁ。
「そう? うれしいなぁ。皮も一枚一枚生地から延ばしているからあんまりたくさん作れないけど、これをお土産にと買いに来てくれる人もいるからやりがいがあるよね」
冷凍やできあいで手軽に餃子が食べられるこの時代に、郊外のこの店まで足を運ぶことを厭わないファンがいるなんて、素敵な話じゃないか。しかし、取材中、口ぐせのように「年齢も年齢だし、いつまでできるか分からない」と繰り返す大将。体調を崩して半年ほどのれんを下ろした時期もあるという。
はて、この先「太洋軒」の餃子はどうなってしまうのか。もしいつか大将が中華鍋の重みに嫌気がさす日が来たとしても、せめて、せめて、この餃子だけは……。そうだ、いっそ餃子専門店なんて未来はどうだろう。新米ファンとしてそんな疑問をぶつけてみた。
「そうだなぁ…餃子専門店かぁ、それもアリかもね(笑)。実は調理師学校を出たせがれがいるんだけど、アイツも何を考えているのか……。本音を言えば、将来せがれがここを引き継いでくれたらこんなにうれしいことはないけれどね。今はいけるところまではいきたいと思ってるよ。俺もカミさんも働くことしかできないからね。カミさんなんて最近物忘れが激しいから、逆に仕事させてた方がいいんじゃないかとも思う。カミさんのためにもがんばるよ」
結婚と同時に店を始めて50年。当初は1階と2階で営業していたものの、子どもが生まれると一家は2階に居住し、1階を拡張し席数を確保した。家族のために、地域の人のために働いた。仕事も私生活も、人生も。すべての物語がこの場所、この店で生まれ、家族の歴史が刻まれてきた。「カミさんのためにもがんばるよ」という大将のシンプルな言葉が、どこまでも心の奥底に響いてくる。
終始、「そうだなぁ……」と間の取り方に独特の柔らかさがある大将。いいお人柄だ。そしてなによりこの餃子。シンプルに美味しい。それだけじゃない。ただ餃子を食べているだけなのに、なぜか目頭が熱くなるのだ。そう、この餃子には多分、いろいろなものが包まれているに違いない。