一口食べれば「あの頃」が蘇る
45年間、高経大生が通い詰める学生食堂
大学生はカネのない生き物である。特に実家を離れ大学近くで下宿している者たちといったら相当にカネがない。そうでないケースもあるだろうが、ここではそういうことにしておいていただきたい。カネがないから食費を削りたいが、大学生はまだまだ育ち盛りで腹が減る。そんな彼らにとってありがたいのが、どんな大学の近くにもかつては必ず数軒あった、安くてボリュームたっぷりの食堂だ。今はかなり減りつつあるこの手の食堂だが、学生たちの間で代々継承され続け、今も営業を続ける学生食堂が高崎経済大学の近くにあった。2代に渡って愛される、学生食堂へいざ!
取材3日前に店主が階段から転落
心配した調査隊であったが…
「カラオケの十八番はムッシュかまやつの『我が良き友よ』で決まりのライター田中です。あの歌に登場するような思い出深い硬派な友人が現実にはいませんでしたが…ええ、いつもひとりです(震え声)。というわけで、そんなタイプの熱い学生がたむろしていたであろう食堂を求め、高崎経済大学近くの下小塙町へ向かいました」
市道高崎環状線から脇道に入ったところに突如現れるペンション風の建物。こちらが今回訪れる「からさき食堂」である。
実はこの取材、一度延期になっている。2代目店主の大山瑞枝さんが(前回の)取材予定日の3日前に自宅の階段から転落。歩行困難なほどのケガを負ったため、仕切り直して今回改めて伺った次第だ。
とりいそぎ瑞枝さんの体調が気がかりである。ホントに取材できるのだろうか、と心配しながらドアをあけてみたところ……
とっても元気だった。
「お元気そうでなによりです! 電話で“階段から落ちてケガをした”って聞いたときは、最悪のことも覚悟したくらいです」
「今日はご苦労さまです。まだ、足に痛みは残ってますけどなんとか大丈夫です。あのとき、少しだけ仕事を休んだんですけど、大好きな韓流グループのコンサートには足引きずりながら行きました! 最高のライブでしたよ!」
「お、おう…」
下駄を鳴らして奴が来そうな
下宿界隈のバンカラ食堂
とりあえず瑞枝さんの無事を確認したところで、まずはこの店を創業した“ゴッド婆ちゃん”こと先代の大山わくさんにご挨拶をしに行こう。
現店舗から歩いて2~3分の場所にある「からさき食堂」旧店舗兼自宅。現在は純然たる居住スペースだが、かつての「からさき」の看板文字が残る。
出迎えてくれたのは先代で創業者の大山わくさんと、次女の清水信子さんだ。信子さんは2代目と共に店を切り盛りしている。一方のわくさんは5年ほど前まで現役として活躍後、現在は看板を娘である瑞枝さんと信子さんに託し隠居生活を送っている。
「店を始めたのは昭和47年だったかな。もともとは弟夫婦がここで食堂をやってたんだけど、私たちが引き継ぐことになってね。周りは学生向けの下宿だらけなのに食堂もなかったしね」
「学生向けの下宿だらけなのに食堂がなかったってことは、相当忙しかったんじゃないですか?」
「忙しかったねぇ。よくあんなことやり抜いたなって思うよ。でもやってみたらできちゃうんだよね」
部活単位で先輩が後輩を引き連れて一斉に来る。しかもみんな信じられないくらい腹が減っている学生ばかりだ。ひたすらメシをかき込む学生たち。食べ終わると、次に並んでいる学生が一斉に席につく。その繰り返し。もちろん運動部の学生が来たら、有無を言わさずご飯は大盛りだ。
「まぁ、これくらいは食べますよね」と、からさき食堂スタンダードのご飯の盛りを再現してくれたのは、次女の信子さん。
「忙しいときは、ホント、母と私と姉でてんてこまいになりながらやってましたよ(笑)」
「それでもできちゃった、と」
「忙しいときは学生たちが手伝ってくれたからね。というか、自分でどんどんご飯よそっちゃってね。もちろん、こっちからあれやれこれやれって手伝いを頼んじゃうときもあったよ。うちは来て食べるだけじゃなくて、お客さんも一緒に疲れる店なの。でも誰も愚痴なんか言わなかった」
「家族ですね。いや、部族なのかもしれない」
「もちろん45年もやってますから、浮き沈みはありますけどね。やっぱり昔のほうが賑やかでした。(26年前に現在の場所に移転する前は)店は自宅に併設されていて店の奥は我が家の居間だったんですけど、居間スペースに入り込んできて私がテレビ見てるのに勝手にチャンネル変えちゃう学生さんとかいました。すごいのになると、勝手口から入って来てうちのシャワー浴びてるのまでいましたね。まぁ、母が許してたみたいなんですけど。ちなみに当時、私はまだ中学生だったんですよ」
「女子中学生がいる家に、どこぞの男子学生がシャワー…これ世が世なら、けしからん案件ですよ」
「アハハハ、そんなこともあったねぇ。うちなんて下宿の一部みたいなもんだったから。下宿してる大学生たちは18、9で故郷を離れて来てるから、自分の親みたいな気分で私なんかと付き合ってたんじゃないのかな。『自分ちにいるみたい』なんてみんなよく言ってたしね。そうそう、その頃の学生たちが今でもしょっちゅう遊びに来てくれるんだよ。それが一番嬉しいよね」
「わくさん、すでに引退しているのに謁見する卒業生がいるんですか」
「ええ。店で食事をしてから、“わくさんがいるなら”って自宅にも顔出してくれるんです。そのまま学生時代みたいにここに上がり込んでね。母も昔の学生のことをよく覚えてるんですよ、◯◯くん久しぶり! って次々名前が出てきます」
「覚えてるもんなんだよ。当時の自分と同い年ぐらいの子どもを連れて来るのもたくさんいるね。自分たちがしていたように、息子にお茶いれさせたりね。みんな台所の配置を覚えてるから、あれこれ息子に指示出してさ」
「ここで学生時代をすごした人たちにとっては、それだけかけがえのない場所なんですね」
「そうであってほしいね。店に通ってた子たちみんなに言いたいのは、近くに寄ったら遠慮しないで顔出してほしいってこと。いつでも待ってるから」
高校時代から働く2代目は
男子大学生のマドンナ的存在
初代のお話を聞いたところで再び現店舗へ。
早速、わくさんから店を引き継いだ瑞枝さんに再登場いただこう。妹の信子さん同様、中学高校時代から男子大学生が出入りする環境で生活してきた瑞枝さん。もう、これは絶対おもしろいエピソードを持っているに違いない。
「先ほど伺ったのですが、こちらのお店のお客さんって男子大学生だらけなわけですよね」
「そうですね、昔は女子学生が少なめでしたね」
「そんな男だらけの客の中で、瑞枝さん信子さん姉妹は女子高生時代から働いてたんですよね。そりゃ、もう大変だったんじゃないですか」
「ええ、お察しの通り、マドンナ的な存在でしたね(笑)」
「気持ちいいくらい否定しませんね」
「とはいえ、みんな硬派でしたから。そして、そもそもメチャクチャな人が多かったから、そんな(色恋的な)ことはないですよ。たとえば、極貧すぎてふりかけだけ持ってきてライスだけ注文する男子学生とかね」
「恋に落ちる要素ゼロのエピソードですね」
「でしょ。そういう学生って、それじゃあんまりだからって余ったおかずを乗っけてあげてたんだけど、ちょっとサービスしすぎて普通に注文したときより豪華になったりしてましたね」
「僕が学生なら、その心遣いで好きになってしまいそうですけどね」
「そうですかねぇ。まぁ、朝から一日中店にいてずーっとマンガ読んでて、朝昼晩食べて夜帰る、なんて人もいました」
「いい時代ですねぇ」
「今はさすがにそこまですごいエピソードは減りましたけど、学生さんが店を手伝ってくれる伝統は部活単位で引き継がれています。たとえばレジ打ちですね。ラグビー部、ソフト部、剣道部、応援団など、いくつもの部活がずっとやってくれてます」
「レジ打ちって、部外者にやらせちゃ一番まずそうじゃないですか」
「いえいえ、みんなちゃんとやってくれて、問題起こさないですからね。ただ、他の学生さんや一般のお客さんが、部員がレジ打ちしているのを見て『レジの打ち方わからないんですけど、どうしたらいいでしょう』って恐縮されたことはあります」
脇目も振らず一気にかっこむべし!
とんでもないボリュームの定食群
「それではいよいよボリューミーな食事をいただきたいのですが、学生さん発信のメニューもあるんですか?」
「学生さんからはネーミングぐらいですね。ホワイトソースをかけたオムライスが『白い恋人』、豚肉と野菜のあんかけは『豚玉ちゃん』。このふたつは学生さんが名前を考えてくれたもの。人気あるのはカツ煮定食。日替わりランチは500円なので、これを毎日頼む人もいます」
「それでは『白い恋人』とカツ煮定食をお願いします!」
ということで信子さんも交えて調理スタート!
「ご飯の量はどうしますか? 大盛り? 特盛り?」
「特盛りと言いたいところですが、若くもないので大盛りで!」
「あら、そうですか(残念そう)」
ということで、もくもくとご飯をよそう信子さん。
そして出されたご飯がこちら。
正気ですか。
「大盛りを頼んだ僕が悪いとはいえ、40代のおじさんにこの量持ってきますか…まぁ、あらかた予想はできてましたけど」
とうことで、学生食堂の味、いただきます!
「ケチャップの効いたライスをマイルドなホワイトソースが中和して、たっぷり食べても飽きのこない味ですね。こりゃ人気出るわけですよ」
続いてはカツ煮定食。先ほどの大盛りごはんはこちらの定食用のもの。
「汁にどっぷり浸かった卵とじカツの濃厚な甘みで、無謀に思われた大盛りご飯がどんどん減る!どちらのお料理もバンカラ学生っぽい豪快な量と、それでも食べちゃえる繊細な味でした。量も味もこんなに満足できて、しかも安い!学生に愛され続けている理由がわかりました!」
「わくさんから瑞枝さんと信子さんがお店を引き継がれましたけど、さらに今後のこと…つまりは後継者についても考えたりしてるんでしょうか」
「まだ後継者を考えるほど年取ってはないと思うのですが…学生に『おばさん』って呼ばれたら『おねえさん』って訂正させてますから(笑)。といっても、ついこの前、私の孫が生まれたんですけどね。なので孫世代が跡を継げるぐらいまではやろうかなとも考えてます。私の子どもも娘だったら跡継がせることを考えたかもしれないけど、息子なんですよね。こういう店ってきれいどころがやるべきでしょ(笑)。孫も男の子なので、孫のお嫁さんに期待ですね」
大学生のライフスタイルはこの45年で大きく変化している。しかし、からさき食堂は、あの時代のままのスタイルを維持している。お孫さんが生まれたといいながらも瑞枝さんも信子さんもまだまだ数十年は続けられそうに元気だし、先代のわくさんもかつての学生相手に楽しそう。古き時代と人は言うが、今も昔と私は言いたい。現役の高崎経済大学の学生さんのみならず、OBOGのみなさんも、懐かしの学生食堂の雰囲気を味わいたい方も、夢を抱えて旅でもしないか、あの頃の面影残すからさき食堂へ!