創業15年の焼きまんじゅう屋が
“元祖”を名乗る理由
高崎の伝統的なお菓子といえば焼きまんじゅう。まんじゅうに味噌ダレをかけて焼き上げた高崎の名物甘味だ。だが、その味や調理法は店によってさまざま。果たしてどれが本来の焼きまんじゅうの姿なのか? そんな疑問を一発解決させてくれる店が、今回紹介する「茶々」だ。店の外には墨痕鮮やかに「元祖 焼きまんじゅう」の文字が踊る。店名よりも「元祖 焼きまんじゅう」のコピーしか目立たない看板。元祖の味を求める絶メシ調査隊は、吸い寄せられるように現場へと直行した。
焼きまんじゅうが、死の淵の店主を回復させる
「絶メシ調査隊のライター田中です。甘いものと映画が大好きな普通のおっさんです。今回は上州名物の焼きまんじゅうの名店を求めて高崎にやってきました」
甘いもの好きの40代オヤジ田中が今回紹介するのは「元祖焼きまんじゅう 茶々」。調理場が外からも中からも丸見えの、とにかくもう「頼んで作って食べる」以外の要素を極力排したストレートなお店だ。
出迎えてくれたのは、店頭でひたすらまんじゅうに味噌ダレを塗って焼き続けている須藤登志江さん。朝10時半開店のため、9時半から準備を始めるという。
「一応は10時半開店ってなってるんですけど、作業してるのが外から見えるでしょ。するとすぐお客さんが『いいですか』ってやってきちゃうの。ずっと待っててもらっても気の毒でしょ。だからもうね、開店前でも来てくれたら入ってもらっちゃう」
「寛容ですね」
「いや、テキトーな営業なだけです。味だって特別なことは何もないですしね」
「いやいや、ご謙遜を。だって看板にあれだけ『元祖』と書かれていて、そんなはずはないじゃないですか。それだけの歴史や由来のあるお店なんですよね?」
「歴史も由来も全然ですよ。本当の元祖のお店がどこかあるのかもしれないですけど、私の両親がここで焼きまんじゅう屋を始めたのはたった15年ぐらい前からなんです。ね、お父さん」
と、ここで焼く前のまんじゅうを蒸す手を止めて現れたのが、登志江さんのお父さんで店主の天田廣四さん。
「えっ、15年前? それで元祖? なにがなにやらわからないんですが…」
「この人、焼きまんじゅうが三度の飯より大好きなんですよ。10年ぐらい前は1日7~8本は食べてたほどで。1本でまんじゅう4個だからだいたい30個ぐらいですね。かなり食べるお客さんでも5本ぐらいですからね」
「はいはい、お父様が尋常じゃないほど焼きまんじゅう好きだということはわかりましたが、元祖を名乗る意味がいまいちわからないのですが」
「焼きまんじゅうって小麦と味噌でできてる発酵食品そのものだからものすごく健康的なんですよ。おかげで今年で91歳になりました」
「(全然質問に答えてもらえてないような気がするけど)ちょっと待ってください! 今年91歳ということはお店をオープンした15年前は、お父さんはすでに…」
「75歳を過ぎてましたね」
「すげえ……!」
『まんが道』の「ンマ~イ!」がフィットする
秘密の味噌ダレ
「元祖」表記については後ほど伺うとして、焼きまんじゅうをいただくことにしよう。さっきから味噌ダレの甘く焦げた美味しそうな匂いが店内に充満している。そろそろ我慢の限界だ。
「生地は主に小麦粉を麹で発酵させて作るんですよ」
焼く前のまんじゅう生地がズラリ
「私は焼き方が一番大事だと思っています。炭火で焼いたといえば美味しそうだけど、炭火って遠赤外線で加熱するわけですよ。肉や魚、芋とか中までじっくり火を通すものには良いんだけど、うちの焼きまんじゅうは蒸して時間のたたないフワフワの生地を、短い時間でカリッと焼き上げなきゃいけないの」
「あとお客さんによって好みもありますからね。焦げ目をつけてほしいという方、焦がさないでという方、タレの量もそれぞれ。常連さんの好みはわかっているから、その都度焼き方も変えています」
そして完成した至高の焼きまんじゅうがこちら。
見よ、この照り輝く焼きまんじゅうを!
いただきます。
箸で取り分けてる場合じゃねえぞ!
調理の難しさを乗り越えた「茶々」の焼きまんじゅうは、なんとももっちりむっちりして、それでいてあっさり。味噌ダレも甘い。美味い。藤子不二雄A先生の名作『まんが道』に頻出する「ンマ~イ!」が書体も含めてばっちりフィットするような甘さと弾力を想像していただければほぼ間違いない、それほどのクオリティだ。
「図々しいお願いなのはわかっておりますが、私の拠点が東京なので高崎ってなかなか来られないんで、うちで再現するためにタレの作り方とか教えていただけませんでしょうか」
「どこでもそうだと思いますけど企業秘密ですよ(あっさり)」
「そこをなんとか……」
「……じゃあ本当にさわりだけね。基本は味噌と砂糖。照りとかツヤを出すための工夫をしています。基本的には継ぎ足しながらですね。といっても15年ずっと継ぎ足しじゃないですよ。はい! 教えられるのはここまで!」
なぜ「元祖」なのか? それを誰が継ぐのか?
まだまだ焼きまんじゅうを追加注文していきたいところだが、これは取材だ。改めて看板の表記についてお聞きしてみたい。
「15年前の開店ながら看板に『元祖』の文字が、それこそ店名の『茶々』さんよりでっかく描かれているんですけど、このあたりもう少しお聞きしていいでしょうか」
「深い意味は特にないんですよ。でも、そうねえ、お父さんは前橋生まれなんですけど、6歳のときに隣の家のもらい火で家が全焼しちゃったんですよ。それで祖父が家族で近所の軒先を借りて、生活をするためにお菓子をいろいろ作って売ってたのね。父はそれから苦労の人生を歩みました。7歳の頃に和菓子職人のところに丁稚奉公に出されて、とにかく若い頃はずーっと和菓子を作っていたんです。もちろん焼きまんじゅうもね。婿入りして結婚してからはお母さんの実家がやっていた飲食店等を継ぐことになってお菓子作りからは手を引いていたんだけど、飲食店自体を畳んで隠居してから焼きまんじゅう熱が再燃しちゃったのね。あれをもう一回作らなければって。それで高崎じゃもっと古くから焼きまんじゅうやっている店があるのに、お父さんが昔とった杵柄から『元祖』って入れちゃったんですよ。実際、昔ながらの製法で作ってるから、まぁ元祖はともかくとしてね」
「察しました!」
「フフフ。世の中、移り変わりが激しいですからね、いろんな商売しなきゃやっていけない。利益が出るならなんでも取り入れて行かなきゃね」
「でも、元祖とか謳っちゃったせいで、プレッシャーもすごくて。ご覧の通り、吹けば飛ぶような店です。なのに沖縄とか、ときにはドイツからも来てくれるお客さんがいらっしゃいますけど、そこまでの店じゃないんですよ。この前もテレビの取材があったんですけど、これ以上忙しくなるとイヤだから放送してくれなくていいって言ったの。でも放送しちゃうもんだから、翌日から何日かお店休みにしちゃった(笑)」
「またとないビジネスチャンスを放り投げるなんて(苦笑)。ちなみにこちらのお店は、登志江さんが跡継ぎを?」
「お父さんの焼きまんじゅう愛が異常だからやってるんで、お父さんがやめるって言ったらやめちゃいます。私はあくまで両親の手伝いですし、私の子どもたちも別の仕事してますしね」
「こんな美味しいお店がなくなっちゃうなんて、ちょっともったいないですよ!」
「そう言ってくださるのはうれしいけど……。でもお店のファンで、ボランティアでお店を手伝ってくれる人はいっぱいいるんですよ。そういう人たちがもしかしたら跡を継いでくれるかもしれないですね。ちなみに、そのうちの一人はベトナムのハノイで姉妹店を開店したいって言ってます」
「まさかの海外展開ですか! すごいことですけど、それより高崎のこの場所でお店が続いてほしいなぁ」
「ありがとうございます。まぁ、何年か前にぶっ倒れて、心臓止まりかけたときにもうこの店も終わりだと思ったからね。それが今でもこうやって続けていられるんだから、店がいつまで続くかというよりも、今がもう丸儲けみたいなもんだよ。ハハハ」
高崎に焼きまんじゅうの店は多くあれど、味は登志江さんが企業秘密と話すようにそれぞれ異なる。「元祖」を標榜する「茶々」さんの味もまた、ここだけのもの。ボランティアのみなさん、頼みます! ハノイだけでもいいからこの味を残してください!