ソースかつ丼の名店一二三食堂【閉店】

No.02

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ソースカツ丼の名店 最大のミステリー
「食後の牛乳」に隠された真実とは

昭和3年創業、高崎市民なら誰もが知るソースカツ丼の名店「一二三食堂」(ひふみしょくどう)。初代の創業者が夫婦と娘の3人で「1、2、3と頑張ろうや」との決意を抱いて始めたことからつけられた店名が示すように、創業以来代々、家族で仲睦まじく経営を続けてきた。

そんな一二三食堂には、他店にはないあるサービスがある。それが「食後の牛乳」だ。

写真

 

なぜ老舗の定食屋の〆に牛乳が…。一二三食堂を利用したことのある高崎市民に聞いても「知らない」「疑問に思ったことがなかった」「そんなこと言われても」と、その真実を知るものはいなかった。今回、絶メシ調査隊はその真実に迫った。

(取材/絶メシ調査隊 ライター高柳淳)

味わい深さごと丼に詰め込んだ一杯

写真 高柳淳 ライター高柳

「こんにちは、絶メシ調査隊員の高柳です!高崎のお隣、藤岡市出身で現在は東京でライターをやっています。東京の人に出身地を聞かれた時、藤岡って言ってもわかってもらえないので、とりあえず『高崎…らへん』とごまかしているのはここだけの話です」

そんなライター高柳がやってきたのは老舗店「一二三食堂」

写真 高柳淳 ライター高柳
「こちらはソースカツ丼の名店として知られていますが、それに加えて食後に牛乳を出してくれるという魅惑のサービスがあるんですよね。高崎以外の人にその話をすると『さすがグンマー』『それは高崎ジョークか』などと信じてもらえなかったり、イジられたりします。今回はそれが事実であること、加えてなんで牛乳を出しているのかについてお伺いしたいと思います。それでは店内に入ってみましょう」
写真 高柳淳 ライター高柳
「なんでしょうか。この初めて来たのに懐かしい気持ちになるのは。落ち着きますね」
創業のきっかけは、当時、高崎市に駐留していた陸軍・第十五連隊の食堂を切り盛りしていた初代の店主、初太郎さんが、第十五連隊の満州派兵により失職したことから。「一緒に満州へ行かないか?」という誘いもあったが、それを断り、意を決して食堂をオープン。その関係で当時としては珍しく、ビールなども仕入れできたことから開業の際にエビスビールが大きな鏡を贈呈。以来、その鏡は90年近くもこの店を訪れる人々を映し出してきた。
早速、高崎市民をうならせる絶品のヒレソースカツ丼をいただくことにしよう。
いざ実食!
写真 高柳淳 ライター高柳
「うっまーーー(笑)。サクっとした食感。そしてこの甘辛いタレの味。カツそのものにもソースが染みこませてあって、さらにソースがかけられているので、味がギュッと凝縮されている感じです。それでいて肉の味も負けていない。これは米も進みます。低糖質ダイエッター殺しの一皿ですね」
こちらの一二三食堂。現在の店主・宮本勇さんが3代目となる。看板メニュー「ヒレソースカツ丼」は勇さん夫妻が考案したメニューだ。
写真 高柳淳 ライター高柳
「月並みな感想しか言えませんけど、ホント、うまいですね」
写真 3代目 勇さん
「ありがとう。こだわりは県内の畜産農家からヒレを仕入れていること。本当は外国産のヒレを使った方が儲かるんだけど、やっぱり食べていただく人の健康を一番に気遣いたいから。低脂肪、高タンパクで質のいいものだけを厳選しているんだよ」
写真 高柳淳 ライター高柳
「儲け度外視の県内産のヒレ! そしてソースもまた最高ですよね。これ、どうやって作ってるんでしょうか?」
写真 3代目 勇さん
「ときどきソースのレシピを教えてくれってお客さんもいるんだよねぇ。でも、それは教えられないよ。だって、ここでしか食べられないっていう個性を出していかないと長続きできないでしょ」
写真 高柳淳 ライター高柳
「そうですよね! 秘伝のソースのレシピを知りたいなんて奴がいるなんて信じられませんよ!」
味は端的に言ってうまい。そしてこの雰囲気の店内で食うからか、はたまた勇さんの話を聞きながらいただいているからかはわからないが、舌先で感じる味とは違った「味わい深さ」が心に滲みるようである。これだよ、これが絶メシなんだ。

「食後の牛乳」について聞いてみたら……

白い。

牛乳とはこんなに白い飲み物だったのか、と思ってしまうほど白い。

それにしてもなぜ、ソースカツ丼の名店が食後に牛乳をサービスしているのか。この高崎グルメ界きってのミステリーについて、単刀直入に聞いてみた。
写真 高柳淳 ライター高柳
「こういう定食屋さんの食後に牛乳ってめちゃくちゃ斬新だと思うんですけど、なぜ一二三食堂さんでは牛乳を出されているでんすか?」
3代目 勇さん
「牛乳だけじゃなくてね、魚のメニューを始めたのも僕らの代からなんだけど、それも同じ理由なんですよね。やっぱりお客さんには健康でいてほしいじゃないですか」
写真 高柳淳 ライター高柳
「ご主人、優しすぎるよぉ。正直、『注文してからしばらく待たされるなぁ』とか思ってたんですけど(←そうなのかよ!)、それはお客さんを想い、丁寧に料理を作り上げているからなんですね! 僕が浅はかでした!」
3代目 勇さん
「いやいや。ただねぇ、まじめにやると儲からないんだよ(苦笑)。高い食材を使ってるから、利益も少ないし。安い食材を使っても、もしかしたら、食べる方はわからないかもしれない。でも、それは違うと思うんだよね
「食後の牛乳」のナゾを追ってやってきたものの、出て来る話はお店側のお客さんを思う気持ちばかり。なんていい店なんだ…。利益とか効率とか、そういうものから少し距離を置いてお客さん第一主義でやってきたからこそ、一二三食堂はこうやって90年近くも店を続けてこらえたのかもしれない。
話を聞けば聞くほどホントになくしたくない、なくしてはいけないお店ではないか。ライター高柳は思わずこんな質問をしてみた。
写真 高柳淳 ライター高柳
「4代目となる後継者って…いるんですか?」
勇さんは少しだけ時間をあけ、そしてゆっくりとこう答える。
3代目 勇さん

「娘が努力すれば…4代目になれるかもしれないね。幸い、娘の孫も調理師学校に通っていて、もしかしたら娘と一緒にやってくれる可能性もあるし。ずっと受け継いでいるレシピはあるから、あとは本人がどれだけ真面目にやるか、かな」

夫婦と娘の3人で「1、2、3と頑張ろうや」で産声をあげてから約90年。あれからずっと家族で頑張り続けている。今日も、そしてこれからも。今後、100年、120年と高崎の地でその歴史を刻んでいってほしいものである。もちろん食後の牛乳サービスもずっと続けてね。

取材・文/高柳淳
撮影/今井裕治
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