甘さ控えめ上かつ定食とんかつ藤よし【閉店】

No.59

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一流シェフの技を引き継ぐ
味も由来もパンチの効いた
大衆食堂風とんかつ屋

本日お伺いするのは「とんかつ 藤よし」。店名に「とんかつ」と記載されてはいるものの、その他の定食料理も多数提供する、いわば典型的な「町の食堂」だ。絶メシといえばこれである。調査隊もこういうのが食べたいのである。期待に胸膨らませ腹減らせ、調査隊一同は暖簾をくぐった。…が、事件はそのとき起こった!

(取材/絶メシ調査隊 ライター田中元)

絶メシ史上最大の危機!
そのとき調査隊は!?

話は24時間前へと遡る。その時すでに我々絶メシ調査隊は「とんかつ 藤よし」の前にいた。なぜか。調査隊は取材日程を一日間違えていたのだ。お店の方に「えっ、取材明日だよね?」と当たり前の反応をされて、全力で謝罪して退散…なにやってんだよ、編集担当! で、翌日の再訪のため、東京在住の調査隊員は急遽高崎のビジホに宿泊。そして夜が明け、調査隊は再び“約束の地”と向かった。時に午後2時、昼営業を終えられた隙間時間である。出迎えていただいたのは、ご主人の今井昌之さんだ。
ライター田中
「昨日は大変失礼いたしました。まずはお話をいろいろお伺いさせていただき、その後、お食事もさせていただければ、と」
今井さん
「昼営業終わったからもう火を落としちゃったんだよ。話はできるけど、調理はちょっとね」
ライター田中
「えー!」
今井さん
「この後すぐ医者の予約入れてるんだよ。取材って話だけかと思ってたよ。料理が必要なら、事前にそう言っといてくれれば良かったのに」
ライター田中
「す、すみません……(って、担当はそんなことも伝えてなかったのかよ!)」
今井さん
「それに取材されてネットやテレビに出ちゃうと、反応がすごいだろ? それ見て来てくれるのはいいんだけど、勝手に写真は撮るわ動画は撮るわネットにアップするわでちょっとね。こっちは出来たて食べて欲しくて出してるんだからさ」
ライター田中
「あぁぁぁぁ申し訳ございません。ええと、出直した方がよろしいでしょうか……」
今井さん
「うーん、でもせっかく来てくれたんだしなぁ。一品ぐらいでいいの?」
ライター田中
「は、はい!」
今井さん
「じゃあ、話は作りながらしようか」
言うが早いか、早速調理を始める今井さん。
ライター田中
「ありがとうございます」
今井さん
「オレも丸くなったからね。ちょっと前の時代なら怒鳴りつけてたよ」
ライター田中
「はい……反省いたします」
と言うことで無事、取材決行!

創業に至る道
そしてご夫婦の馴れ初め

ライター田中
「それでは改めてお話を。お店の創業はいつでしょうか」
今井さん
「昭和48年の12月だね」
ライター田中
「今井さんはそれまで、どこかで修行を?」
今井さん
「高崎の銀座通りの方に『グリーンホール』っていうレストランが昔あったの。最初はそこに卸業者として出入りしていたんだけど、その後、そこで調理人として勤めることになってさ」
「そこで、私と出会ったの」
ライター田中
「登場の仕方がイカす! あ、奥様、お邪魔しております…そこで出会ったの、というのは『グリーンホール』で出会ったということでしょうか?」
奥様
「そう。旦那が調理人として入って来た頃、私もそこでウェイトレスのアルバイトしていたんですよ。そこで、この人と出会い、そして…」
ライター田中
「職場恋愛じゃないですか! 俺には縁のない!」
奥様
「縁がないの? まあ仕方ないですね。私はお医者さんとか社長とか、いろいろお金持ちに言い寄られたりしましたね。他の女の子もみんなモテてましたよ。手で払うほど言い寄られてね」
ライター田中
「まさかのモテ話! そんな中で今井さんを選ばれた決め手は?」
奥様
「選んだんじゃないの。押し切られたの」
ライター田中
「やりますね!」
と、今井さんの方に目をやると…。
奥様
「グリーンホールの次は“たかべん”に行ったのよね」
ライター田中
「おお、だるま弁当で有名な『高崎弁当』にいらっしゃったのですね」
奥様
「そうそう。たかべんの本社で、今でっかい工場になってるところがあるんだけど、昔は結婚式場の設備もあったのね。で、グリーンホールでの腕を買われたのか、そこの料理長になったんです」
ライター田中
「一従業員からシェフとして引き抜きですか! そして、いよいよこの店を開店という流れですね。自分のお店を持つことになったきっかけは?」
奥様
「私の親がここで豆腐屋をやってたんです。道路拡張で家を建て替えることになったので、じゃあ、旦那の腕もあるし、いいタイミングだから独立したらって促したんです」

子どもも働く多忙な時代
深まるばかりの店名の謎

こうして昭和48年12月、とんかつ藤よしは開店した。今井昌之さん、38歳の年である。
ライター田中
「当初からとんかつ屋さんとしてですか?」
奥様
「そうです。グリーンホールや結婚式場のような料理だと、町中の食堂でやるにはちょっと難しいじゃない。そこでこの場所にあったものとして、とんかつがメインになりました。そこからカツ丼や親子丼とかオムライスとか、お客さんに合わせてこの人が作れるものを増やしていって。近所に飲み屋とかもなかったから、週末は宴会場としても営業してましたね」
ライター田中
「となると定休日は平日ですか」
奥様
「最初は半年間、お客さんが定着するまで休みなしで働きどおしでしたね。子どもは四人、長男と女三人で、当時は小学生ぐらいだったけど、親の手伝いも当然のようにやっていましたよ」
ライター田中
「配膳とかですか?」
奥様
「それもあったし、週末の宴会なんかだと夜中までやってるでしょ。お客さんが帰る頃には子どもたちは寝てるんだけど、夜中でも叩き起こして片付けや皿洗いもやらせましたよ。近所なら出前もやらせましたね。小学二年生や三年生の頃には自転車で」
奥様
「とにかくめちゃくちゃ忙しかったからですからね。子どもたちも手伝わないと店が回らない。うちのメニューがどれも50円単位なのは、出前でお金もらうときに子どもが計算できないと困るからって時代の名残りですね。と言っても流石に当時のままの値段じゃないけど。長女が高校生になってバイクに乗れるようになってようやく少し楽になったんじゃないかな。遠くまで出前いけるようになったからね」
ライター田中
「そこまで10年ぐらいですか」
奥様
「ですね。よく乗り越えたもんだと思いますよ。当時は若かったからね。体力もあったし」
ライター田中
「ところで名字が『今井』さんなのに、店名が『藤よし』さんなのはなぜなのでしょう。旧姓が藤吉さんとか?」
奥様
「それね、意味は全然ないの」
ライター田中
「ん?」
今井さん
「店やる以上は店の名前が必要だろ。それでね、思いつくのをとりあえずいっぱい書き出してみたんだよ。それを親戚に見せて選んでもらったのが『藤よし』っていうだけ」
ライター田中
「それだけ?」
今井さん
「それだけ。後で調べたら、他にも『藤よし』って名前の店がいっぱいあるんだよね
奥様
「そこからしていい加減ですよね。そんなわけで店の名前に意味は全然ないの。料理にはこだわりがあるけど、店名はどうでもよかったの」
ライター田中
「名前より味が看板だと」
奥様
「あら、よいしょがお上手ね(笑)」

味の秘訣はあの“超名門”にあり?
極上ソースで食が進むぞ!

ということで調査隊がわがまま言って作っていただいた「ロース上かつ定食」が今、田中の目の前にある。うむ。これぞ町の食堂のとんかつ定食だ。素晴らしい。じっくり眺めたい。スマホでパシャパシャ撮影してインスタにアップしたい。というより、取材で来てるわけだから、それ用の撮影はマストである。が、「出来立てを食べるんだよね?」というプレッシャーがすごい。食べますよ! 食べたいですよ! でもね、ちょっとだけ撮影させてください!
ライター田中
「パパッと数枚だけ撮影させてください! そしたらすぐいただきますので!」
今井さん
「ほんとにすぐだね?」
ライター田中
「は、はい! ほら、カメラマンがもう撮影してますから!」
パシャ!
ライター田中
「撮り終えました? はい、ではいただきます!」
ライター田中
「はぁぁぁぁ、これは…最高じゃないですか」
今井さん
「どう?」
ライター田中
「とんかつはもちろん、ご飯もサラダもどれも美味しいです。こう言ってはなんですが、大衆食堂のとんかつソースってたいていこってり甘いじゃないですか。それはそれで美味しいんだけど、こちらのはデミグラスソースですか? 甘さ控えめあっさり系で、上にかけられた粉チーズとも相性が良くてどんどん食べられます」
奥様
「その辺、帝国ホテルのおかげかもね」
ライター田中
「帝国ホテル? …って、あの帝国ホテルですか?」
奥様
「そう。旦那が働いていたグリーンホールの料理長が帝国ホテルで修行した人だったんですよ」
ライター田中
「つまり、帝国ホテルのDNAを受け継いでいるってことですね! 上品な味わいのルーツがそこにあったとは!」

明日、食べられなくなるかも?
“匠の味”は今だけのもの

しかし気になるのは、ご家族は接客や出前等は担当するが、調理は今井さん一人だけでやっているということである。ということは、この味は今井さんだけのもの……?
奥様
「旦那も今年で84歳ですからね。本人も周りも言ってるけど、明日はどうなるのかわかりませんよ。一応、子ども(三女)も孫も、この人に憧れて何人かが調理師免許持ってるんですけどね」
ライター田中
「なら、どなたかが引き継ぐということもできるのではないでしょうか。レシピとかあるんじゃないんですか?」
今井さん
「そんなのないよ。昔はさ、鍋に残ったやつを舐めて自分で考えて作って、これじゃねえって親方に蹴っ飛ばされながら覚えたもんだよ。作り方をやさしく教えたところで、作る人が違えば同じ味にするなんて無理だしね」
ライター田中
「そういうもんですか……」
「そういうものよ」
今井さん
「ただ、違う商売ならできるんじゃないかって話はするよ。幸い飲食業のための設備はあるんだから、自分なりの店をやるならいいよって」
奥様
「私たちの年齢もあるから、いざってときに近くにいてくれると助かりますしね。なのでここで飲み屋をやってもいいし」
今井さん
クレープ屋でもいいし」
ライター田中
「クレープ屋! ずいぶん業種に幅がありますが…」
今井さん
「別の飲食店ならなんだっていいよ。とにかく、オレのとんかつを再現することは誰にもできない。どんなに教えてもそれは無理なんだよ。だから、『とんかつ 藤よし』が続くのは、もう何年もない。明日にでも終わるかもしれない。だから、オレは心を込めて一皿一皿つくってるんだよ。わかるだろ?」
帝国ホテル仕込みのシェフから学び60年間、丹精込めてつくられてきたとんかつの味は格別であった。今井さんが言うように、食べるなら「今」しかない。なにを食べるか。まずは上かつ定食あたりから行くのがよいだろう。とにかく、あのデミグラスソースを食べてほしい。あと、訪れるときはくれぐれもマナーを守るように。出来たて熱々のカツをスマホで撮影して、SNSにアップしようとコメントを考えたりしてダラダラしてたら “喝”ですよ!
取材/田中 元
撮影/今井裕治
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