毎日食べたいフワッフワ食パンこのえパン(BAKE SHOP konoe)

No.58

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

たぶん、街のパン屋の理想型
高崎で2番目に古い老舗の
毎日食べたいフワッフワ食パン

聞くところによれば昨年だか一昨年あたりから食パンがブームだそうである。食パンってあれでしょ、スライスされた6枚とか8枚入りで安いのだと100円ちょっとぐらいで買えちゃう、やっつけ朝食の食卓に用意されるやつでしょ(筆者の個人的体験に基づくイメージ)。そんな食パンがブーム? なんで? と思ってたら、どうやらそういうのじゃないらしい。もうめちゃくちゃうまいんだと。それでいて価格は一斤1000円とかもざら。なに、それ。贅沢品じゃん。食パンってそんなもんだった? 違うよね? 違うよね? ということで、今回はスーパーやコンビニで売られている食パンよりちょっと高いけど、とっても質の高い食パンを提供してくれる店を紹介しよう。もちろん食パン以外のパンも秀逸との噂。こりゃ楽しみだ。

(取材/絶メシ調査隊 ライター田中元)

作るのやめると苦情が来るから…
と、100種類超のパンを提供!

どうも絶メシ調査隊の田中です。私が調査活動に出動するのはおよそ一年ぶりのこと。別に干されていたわけではない…おそらく。えっと、そうですよね…(自信なさげに)。そこんところをこれ以上掘り下げてもこの後の気分に影響が出るだけだろうと判断し、目的の店へと向かった。目指すは高崎の老舗パン屋「このえパン」。

調査隊員の一人が「あった!あった!」とパンの巨大立体造形を見つけるも、看板に記されている店名は「BAKE SHOP konoe」。絶対ここだろうと思うんだけど、微妙に店名が違う。間違ってないよね?

「いらっしゃい、待ってましたよ。絶メシ調査隊のみなさんですよね?」
ライター田中
「あ、そうです。あの、本日『このえパン』を取材に来たのですが、こちらは姉妹店かなにかですか?」
「いや、ここが『このえパン』だよ。今の店名は『BAKE SHOP konoe』だけど、今でも『このえパン』で通ってるから」
ライター田中

「なるほど…って、あなたはどなた?」

「こりゃあどうも、『このえパン』改め『BAKE SHOP konoe』の代表取締役、石附一利です(キリッ)。店名の違いについては後で解説するから、とりあえず中に入って」
ライター田中

「ものすごい種類ですね。今、どれぐらいあるんでしょうか」

石附さん

100種類以上になるかな。本当は50か60種類ぐらいにしたいんだけど、減らすのは難しいんですよね。それぞれ飛ぶように売れるわけじゃないんだけど、だからといってやめると苦情がくるんです。『なんであれやめちゃったの?』って」

ライター田中

「ほほう。で、100種類以上ある中で、人気商品となるとどのあたりでしょうか」

石附さん

「うちの“顔”になっているのはクリームサンド、あんドーナツあたりですね。今は調理パンやおかずパンもオシャレなのが流行ってるけど、高崎ではうちが一番最初におかずパンを始めたと思うんですよ。コロッケパンとかウインナーパン、エッグパン、ハムパンとか。女子高生時代に買ってくれていたおばあちゃんや、その子や孫も買いに来てくれるし

ライター田中

「そこに新しい商品もどんどん加わると」

石附さん

「そうですね、問屋さんや本やテレビからの情報で、思いつきでやってみることも多いです。商品化まで行くのは意外に少ないですけどね」

日本一を目指した先代
山っ気に満ちた2代目

ライター田中

「改めてお店の歴史をお聞かせください」

石附さん

「親父が東京・日暮里のパン屋で修行して高崎に戻ってきて、昭和9年に創業しました。私もまだ生まれておらず、パン屋が比較的珍しかった時代ですね。パンはちょっとした高級品だったので、お出かけする時とか、病気の時とか、特別な時に買ってもらうようなものだったそうです。『このえパン』という店名は、かつて高崎が軍都で、帝国陸軍の歩兵第15連隊が駐屯していたことに由来します。創業時、店名を考えていた父は知人に相談したところ、天皇をお守りする近衛師団は一般師団とは一線を隠す日本一の精鋭部隊と言われていたため、その名をお借りして、日本一のパン屋を目指すという意味で屋号を『このえパン』としたそうです。」

ライター田中

「創業の地は、こちらですか?」

石附さん

「はい。正確にはここの近所ですね。両親と職人さんでやってたんだけど、昭和13年頃に、支那事変で親父が軍隊に召集されちゃってね。親父が戦地に行っている間はお袋と父の妹と、祖父の後妻、他にも私は誰だか知らない人たちも一緒に店を続けていたようです」

石附さん
「その後、戦争が続くなか、店があった場所は道を広げるとかの理由で強制疎開の対象となって、昭和町に移転することになったんです。その半年後に終戦を迎えるんだけど、戦後もしばらく昭和町で続けていました」
ライター田中

「このあたりへ戻ってきたのは?」

石附さん
「昭和29年に本町に移転して、10年後の昭和39年に今あるこの建物を作って、以降この場所で店を続けています」
ライター田中

「昭和39年にある意味で“今の形”が出来上がったと。ちなみに石附さんが後を継がれたのはいつ頃ですか?」

石附さん

「これが実は早くてね。昭和42年とか43年くらいのころ。大学を卒業した後、一年ぐらい平塚の方の洋菓子屋で修行してうちに戻ったら、その三ヶ月後ぐらいに親父が死んじゃったんですよ」

ライター田中

「それは……大変なことに……」

石附さん

「ほんとは違うことやろうかと思ってた矢先だったんですけど、職人さんもいるし、とにかく店を回さなきゃって、あれよあれよとそのまま後を継ぐことに」

ライター田中

「初代が日本一のパン屋を目指してつくったお店ですから、2代目としてプレッシャーもあったのでは?」

石附さん
「いやいや、それはあまりなかったです。ただ、いろいろ新しいことをやりましたよ。店舗も増やしましたね。一番多いときは5つあったかな。年商も1億何千万かありましたからねぇ」
ライター田中
「パン屋で年商1億! すごい!」
石附さん
「でも、利益は全然でしたね(苦笑)。ある時、気づいたんです。『あれ、年商1億円以上の売上があるのに、利益が残ってないじゃん』って。それで、拡げた店舗を縮小して本店のみに戻したら利益が出るようになった。まぁ、最初から増やさなきゃ良かったってことですね」
ライター田中

「清々しいほど“失敗”をお認めになるのですね」

石附さん
「山っ気が足を引っ張っていたというか、一時期はゲームをやるみたいな感覚で手広くやってましたからね。ただ、ダウンサイジングしてようやく利益が出るようになったら、今度はバブルが弾けちゃった」
ライター田中

「おうふ…」

石附さん
「苦しい10年間くらいが続いた後、西暦でいうと2000年前後かな、ここ高崎にも郊外に大型商業施設ができて、街中に人が来なくなっちゃったんですよ。ホント、人が消えた。それでこの辺の個人店もバタバタ消えちゃってねぇ。ウチの売り上げも拡大した最大時の三分の一ぐらいになりました。でも身の丈にあった経営を心がけて、今もなんとかもってますよ。幸いなことに、ウチは家賃を払う必要がないのも大きいですかね」

いろんなパンを食べて
“街のパン屋”の実力を知る

というところでそろそろパンをいくつか食べさせていただきましょう。買ったものを、即、店頭で食べちゃいます!

手始めにバター塩パンから。
ライター田中

「うほっ、これはうまいですね。普段、パンなんてあんまり食べないんだけど、これはススム。パンがススム。食事としていけるやつですね」

石附さん
「こちらのバター塩パンは、愛媛県のパン屋で一日7000本売れていたものを学ばせていただきました。なお、そのパン屋は塩パンブーム発祥の店といわれています」
ライター田中
「老舗店ながら、人気店のヒット商品を積極的に取り入れていく姿勢がナイスです! 続いてはこの“オリンピック”という名前のパンをいただきます。こちらは来年の東京五輪に向けての新作ですか?」
こちらがオリンピック。
石附さん
「これは昔からあるやつだね」
ライター田中
「となると、前回の東京五輪から?」
石附さん
「いやいや、もっと前の戦後まもなくのこと。昔、神奈川県・藤沢に『オリンピック堂』というパン屋があって、そこの名物パンだったそうです。親父がそれを知ってうちでもやろうと。コンセプトはアメリカ人がよく食べていたチョコレートバー。でも当時はチョコレートなんて高級品じゃないですか。そこでパンにチョコレートとピーナッツをかけて作ったの。終戦直後から作ってる、人気パンの一つですね。牛乳がよく合いますよ」
ライター田中
「戦後から続く創作パン。でも、それも他の店のオマージュ! もう、細かいことは言いません! 食べちゃいます!」
ギブ・ミー・チョコレート!
ライター田中

「チョコとナッツがコーティングされたパンなど間違いが起こるはずがありませんね。もう、うまいです、うまいに決まってると思って食べたけど、やっぱりうまいです」

さて、ここまではある意味で“お遊び”である。今回の調査の一番の目的は食パンの実力を確かめること。

ライター田中
「寿司屋で玉子焼きを食べると、職人の腕前がわかるだのなんだと言うけど、やっぱり街のパン屋の実力は食パンにあらわれるもの。では、お待ちかねの食パンをいっちゃいますね」
ライター田中
「食べる前に石附さんにちょっと聞き取りを。最近、世間ではやたら食パンがブームですよね。そういうのって意識されていますか?」
石附さん
「いや、意識しないね。高崎にも高級食パンの店がどんどん出てきてるけど、ああいう店のものとウチの店の食パンは全然別物。だってあちらは特殊じゃない」
ライター田中
「たしかに。あれを毎日食べられるかと言うと、もう財布がいくつあっても足りないと思います」
石附さん
「だよね。まぁ、うちの食パンも特殊といえば特殊かな。ブームの食パンよりは安いけど、一斤300円と一般的なのよりは高いし。普通はイースト菌って25度とか26度以上だとダメになるんだけど、これはあえて“中だね”を熱湯で捏ねた湯だね食パンになります。こうするともっちり感が出るんだよね」
ライター田中
「ちょっと持たせてもらっていいですか(と、聞いてパンを手にする田中)」
もっちり。そしてフッワフワ。
ライター田中
「柔らけぇぇぇぇ(感嘆)。この製法は石附さんが編み出したものですか? それとも先代から?」
石附さん
「これは中野先生に教えてもらったの」
ライター田中
「中野先生……? どなたです?」
石附さん
「まぁまぁ、それはあとで説明するから、とりあえず食べてみて」
ライター田中

「了解です!」

ライター田中
「おお、そのまま食べても美味しい。そしてどこか優しい。朝食べて一日を何事もなく過ごし、翌日起きた朝も、当然のように食べる。日常にある食べ物。食パンって、こういうことなんだよなぁ」
石附さん
「美味しそうに食べてくれてうれしいですよ。まぁ、食パンは店の安定化のバロメーターですね。美容室や歯医者っていつも同じところに行くでしょ? それと同じで、食パンもお客さんは食べ慣れたものを求めてくれるんです。なので、これが売れている間は大丈夫」

経営危機を救ったのは
パンの神、“中野先生”

気軽に買って気軽に食べられるものながら、満足度は極めて高い。『美味しんぼ』の山岡士郎だったら目を丸くしてうんちくを述べるだろうし、富井副部長なら「これこれ、この味だよ!」と過去の何かを思い出して涙を流すに違いない…。ずばり、町のパン屋さんの理想型といえようか。

ところで!

ライター田中
「ところで、ずっと疑問に思っていた『BAKE SHOP konoe』という横文字店名の件と、さっきお話されていた“中野先生”についてお教えいただきたいのですが」
石附さん

「あ、そうだったね。まず中野先生という方は高知にある『ベイクショップグループ』っていう、四国や中国地方で展開しているパン屋チェーンの社長です。パン作りに対する信念がある方でね。先ほども話した通り、バブルが弾けてうちも経営が大変になり、どうにかしないととなったときに、高崎の松浦幸雄前市長の長男で、高校の後輩だった玲一郎が『こういう人がいるよ』って教えてくれたの」

ライター田中
「なぜ前市長の息子さんがそんなことを?」
石附さん
「あいつのところも『松浦パン』っていう120年続いた老舗パン屋だったからね」
ライター田中
「120年!」
石附さん
「高崎では二番目に古い店でね。うちが三番目。一番古いのは日英堂だね。『松浦パン』はもう閉店しちゃったんで、繰り上がってうちが高崎の二番目の老舗になっちゃった。で、その松浦もかつて中野先生にパン作りを教わったことがあるんで、彼に紹介してもらって、うちの職人も修行に行かせたりしてね。その流れでうちもグループに入り、『このえパン』から『BAKE SHOP konoe』に店名を変えたわけです」
ライター田中
「疑問がまとめて解消しました!」
石附さん
「まあね。『BAKE SHOP konoe』って言っちゃってるけど、地元じゃ結局“このえパン”で通ってるんだよね。BAKE SHOPっていうとおしゃれなようでおしゃれじゃないよね、田舎者が無理に横文字使ってるみたいで(笑)」
ライター田中
「そ、そ、そんなことないです!」

最後に「BAKE SHOP konoe」のこれからについて聞いてみよう。

石附さん

「これからですか? 今、俺は72歳。なので、あと3年、75歳までは第一線に立とうと思っています。幸い屈強な体に産んでもらえたおかげで普通の70歳より元気あるしね。あとは気持ち次第ですね。心折れたら商売とかって成り立たないじゃないですか」

ライター田中
「では、あと3年でこちらのお店は……(寂しい気持ちになる田中)」
石附さん

「娘が継ぎます(即答)」

ライター田中

「え? 娘さん?」

石附さん

「うん。今うちには職人が男3人、女3人いるんだけど、その1人が娘。幼稚園の時からパン屋を継ぐって言っていて、本当にそうなることになりました」

ライター田中
「なんだ! ほっとしましたよ。そして園児の頃からパン屋になりたいって夢を叶えてる娘さんもスゴイ!」
石附さん
「だから残りの3年でもう少し利益が出る態勢を整えたいと思ってますよ。といっても娘の代になっても引退するつもりはないけどね。もう自分も妻も店の看板おじさんおばさんだからさ。これからもアイデアを絞って、店を続けていけたらと思っています」
高崎で今や2番目の老舗パン屋として、伝統商品をキープしながらも、失敗を恐れず常に新しいことにチャレンジし続ける、「BAKE SHOP konoe」こと「このえパン」。もちろん失敗はつきものだが、それをカバーできるアイデアの多彩さにも恐れ入る。そして後を継ぐ予定の娘さんも独自に勉強会などに参加しているとのことで、今後もきっと安泰。近所の方はもちろんのこと、ホームページや楽天では日本全国に通販もしているので、まずは湯だね食パンあたりからぜひ。フワッフワだから、まじで。

取材/田中 元

撮影/今井裕治

  • このエントリーをはてなブックマークに追加