店主はバブルを知る元証券マン
遊女も愛した味が今も残る
“群馬の上海”新町の惣菜店
店主はバブルを知る元証券マン
遊女も愛した味が今も残る
“群馬の上海”新町の惣菜店
高崎市新町に家族経営の惣菜店がある。 “群馬の上海”と呼ばれ、戦後の高度経済成長期に賑わった頃、……いや、それよりずっと昔の戦前に遊郭が数多く立ち並んでいたときから、この街で営業を続けてきたという。食堂、そして惣菜店と時代に応じて業態を変えながら、約1世紀にわたり新町の住民、そしてここを訪れる人にぬくもりを与えてきた小さな小さな惣菜店。そんなステキなお店の歴史を紐解きに、絶メシ調査隊・ライター増山が腹をすかせて突撃した。
(取材/絶メシ調査隊 ライター増山かおり)
「2回目の登場となる絶メシ調査隊の増山です。弁当好きです。ここに来る前に高崎名物の『だるま弁当』を2個購入しました。取材が終わったら全部食べ尽くしたいと思います……さて、デイリーにお店で惣菜や弁当を購入している人は少なくないと思いますが、おそらくコンビニやスーパー、もしくは弁当(惣菜)のチェーン店で、という方が多いのではないでしょうか。今回ご紹介するお店は、こうしたお店のライバル関係にある個人経営の惣菜店さん。かつては食堂を営んでいたそうで、業態を変えつつ創業から約100年も新町で営業を続けているとか」
「創業者はうちの祖父です。ただ、扇港という店は祖父がやる前に、神戸出身の人物が営んでいて、その方がつけた屋号なんですよ。なんでも、神戸の港が扇の形をしているから『扇港』という名前にしたとか。遡れば、その店は約100年前にはあったみたいで、その時は食堂だった……正確に言うと、お茶もできるし、ご飯も食べられるようなお店だったと聞いています。その店をうちの祖父が店名も業態もそのまま引き継いでやることになったんです」
「なるほど、そういうことなんですね。でも、神戸出身の方がやっていた“初代・扇港”から数えると100年! すごい歴史ですよ」
「まぁ、祖父が継いでからでも80年はゆうに超えてますからね。創業当時の話については、伝え聞くばかりなんですが……昔はこのあたりも賑やかな街でね。“群馬の上海”なんて言われていて、いわゆる花街だったんですよ。遊郭なんかがあったりして、そこで働く人や遊びに来る人がうちのお客さんだったみたい」
「そうなんですか」
「俺なんかが生まれるずっと前の話だけど、うちの店の前に格子の壁があって『寄ってきな、寄ってきな』って女性に手招きされてたって、古株のお客さんが嬉しそうに言ってたなぁ(笑)。そういう遊女のみなさんも、お仕事前にうちで腹ごしらえしていったりね」
「惣菜屋さんに来て5分で聞けるレベルのエピソードじゃないですよ(笑)。でも“遊女が愛した味”ってことかぁ…ロマンがあるなあ。ちなみに私たちが知っている範囲では、このあたりは昔、カネボウさんで働く職員の方、陸自の駐屯地で働く自衛隊員のみなさんで賑わっていたとか」
「そうですね。あとは学生さんも多かった。昔、上武一高という高校があって、そこの生徒が部活終わりにうちの座敷に上がり込んで、むしゃむしゃ食べてたりしてたなぁ。実はいまだにその卒業生がうちに来て、あの味が食べたいって、うちの惣菜や弁当を買いに来てくれたりするんですよ」
と言いながら、出されたのが、
ほんのり醤油の香りがする、アレ。
「超いい香りです! これ、おいくらなんですか?」
「うちはこういうことするんですよ。お客さんに食べて行きなって、お餅出したりね。おせっかいかもしれないけど、これがうちのスタイル」
「食堂から惣菜店として改装オープンしたのは平成5年(1993年)1月のことでした。実はそれ以前、俺は会社員だったんです。証券マンとして、東京の兜町で働いていたんですよね。入社が87年なのでバブル絶頂期でした」
「えっ、バブル時代の証券マンなんて、めっちゃ花形じゃないですか!」
「ですね。高校時代に生徒会長をやっていて、さらに担任が株好きだったこともあり、その先生から勧められてね。高卒ではなかなか難しい業界でしたけど、ある大手証券会社がうちの高校から2〜3人くらい採用していたので、そこを受けてみたら合格したんですよ」
「実家の食堂を継がずに、証券取引の世界に……すごい展開ですね」
「でも、証券の世界も徐々にダメになってきた時期でもあってね。入社年がブラックマンデーだったし。あれは忘れもしない、やっと仕事を覚えだした10月のある日のこと。朝、職場に行って株価ボードを見たら、全て青文字…値段がついてないんですよ。あの日のことは忘れません。その後も、なんだかんだと好景気の余韻みたいなものもあって、しばらくはあの業界もよかったんですけどね。その3年後くらいからかなぁ、うちの会社でも辞める人が出始めてきました」
「バブル崩壊……」
「そのタイミングで俺も会社員やめて、実家に戻ろうと決心しました。そうそう、まさにそのときに長男が生まれたんですよ。すごいタイミングですよね。まぁ、看板を守るためにも、家族を守るためにも、とにかく成功するしかありませんでした」
「ちょうどこういう店が流行りはじめていた時期だったこともあり、最初から珍しがって結構お客さんが来てくれたんですよ。商店街にもまだ20くらいお店が残ってたし、売上もあって、なんとか食っていけるなと」
人気のお弁当はちょっと小ぶりな400円シリーズと、通常の500円シリーズが基本。弁当に使う米は毎年、産地を変えつつその年で最良のものをチョイス。またおかずはお客さんの好みにあわせて、カスタマイズできる。このあたりは個人店ならではのきめ細かいサービスといえよう。また婦人会や少年野球のクリスマス会用の仕出しなど、地域のイベントにも対応。小さな注文から大きな注文まで、なんでも受け付けているとか。
「そういえば少し前に、街の運動会用におにぎり1300個ってオーダーが入ったこともありましたね」
「おにぎり1300!!」
「そうなると夜中2時ぐらいから厨房に入らないといけないわけですよ。うちのおにぎりは型を使わないから、全部手作業。だから結構大変で、最初に注文数を聞いたとき『コンビニで買えばいいのに』って思ったくらいですけど、でもやっぱりうれしかったんですよね。だって、わざわざうちにオーダーしてくれるんですよ。もう家族総出で、狂ったように握りましたね」
業態を変えて25年。大きなスーパーもできて、雨後の筍のようにコンビニがオープンしていった。その都度、店の売上に影響があるのではないかと不安を感じていたというが、今では「そうした不安は一切ない」とてる子さんは言い切る。
「つっても、うちのだって2週間や3週間食べ続けてたら飽きますけどね(笑)。そういうときには、別の店に行っていただいて全然よくて、そっちに飽きたらまた戻ってきてくれるものなんです」
「それ、個人経営の強みですよね。お客さん一人ひとりの生の声に耳を傾けられる」
不安を感じていない――てる子さんはお店の経営についてそう語る一方で、インタビューの中でこんな印象的な言葉を口にしている。
“毎日忙しいならいいけど、そうもいかない。時には泣きたくなるような日もあるわけですよ。そういうのを乗り越えないと、長くは続けられない”
飲食店なり、こういった商店をやっている方であれば、誰もが染み入る言葉に違いない。当たり前の話だが、不安がないわけではないだろう。しかし、てる子さんと正徳さんはどこまでも明るく、前向きにお店について語る。その口調、そして表情はとてもまぶしい。彼らのそんな姿勢は、おそらく今後も変わることがないだろう。
「俺なんて、親父みたいに料理の修行をしてこなかったから、毎日が手探りなわけですよ。お客さんのリクエストでメニュー開発とかしたりね。でも最近は楽になりました……なんせクックパッドがあるからね。あれ、便利ですよ! 」
「クックパッドがあればいくらでも新作できちゃいますね(笑)」
「ね! あと50歳になってやっとやる気が出てきたんですよ。それまでだってある程度はやる気があったんですけど、魂の込め方が変わってきた」
「お母さんの笑顔でこっちまで笑顔になっちゃいます(笑)。それにしても正徳さん、なにか心境の変化でもあったんですか?」
「子どもが二人巣立ってね。この前、結婚式だったんですよ。あと姪っ子に子どもができて、孫みたいで可愛くてしかたがない。ああいうのを見ると、自分に何ができるかなって。いや、何かしないとなって……気合いがみなぎるというか」
「ふふふ、お前も親の気持ちがわかってきたかい?」
「親の気持ちはわかってるって! 俺、50だよ(苦笑)!そうじゃなくてさ……(しどろもどろ)」
「きっと忙しすぎたんですよね、お子さんが生まれたときは。ずっと突っ走ってきたから、そういう巣立ちの瞬間を目の当たりにして、いろいろ思うことがあったのでは(必死のフォロー)」
「それそれ! そういう余裕がなかったんだと思うんですよ」
「ということはですよ、今の惣菜やお弁当は最高の出来なんじゃないですか? 一番気持ちが乗っているわけですから!」
「間違いないですね。事実、最近は新しい献立もポンポン出てくるんですよ。思考回路が研ぎ澄まされたというか。そうそう、ずっと死ぬまでこの脳の状態をキープしなきゃいけないって思ってるので、俺、最近ヨガ始めちゃったんですよね」
「惣菜のレシピを考えるためにヨガやっている人は正徳さんくらいかもしれません(笑)。お二人の掛け合いがとっても楽しいのでもっともっとお話をしていたいですが、そろそろお時間ですので、最後の質問として、今後のお話をお聞かせください。正徳さんはまだお若いですが、お店の将来、特に後継者についてどうお考えでしょうか?」
「そうですね……うちは息子二人なんですけど、長男は超有名旅行代理店に勤めていて、多分辞めない。次男はディズニーランドあたりのホテルに就職して、多分ここを継ぐ気もないと思いますね。だから俺の代で終わるのかなぁ」
「それ、さみしいです……。戦前から続く味が絶えてしまうことを考えると、そこはなんとかなったらいいなぁって思っちゃいます」
「先のことはわかんないよ。だから私たちは毎日を一生懸命やるだけ。それこそ孫たちも戻ってくるかもしれない。なんせ彼らの父親は証券会社を捨てて帰ってきたくらいなんだから(笑)」
小さな、だけどとってもステキな街の惣菜店、扇港。長年、この街で愛され続けてきた味がここにはある。いつまでこの味が楽しめるのかは誰にもわからないけれど、街のみなさんがずっと愛し続けていたら、きっと何らかの形でバトンは繋がれていくに違いない。絶メシ調査隊は、そう信じたい。
取材/増山かおり
撮影/今井裕治
No.55
惣菜の店 扇港(そうざいのみせ せんこう)
0274-42-5973
11:00~19:00
日曜日 祝日(注文のみ受付)
群馬県高崎市新町2494-1
新町駅から450メートル
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