ホッとする惣菜&弁当惣菜の店 扇港

No.55

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店主はバブルを知る元証券マン

遊女も愛した味が今も残る

“群馬の上海”新町の惣菜店

高崎市新町に家族経営の惣菜店がある。 “群馬の上海”と呼ばれ、戦後の高度経済成長期に賑わった頃、……いや、それよりずっと昔の戦前に遊郭が数多く立ち並んでいたときから、この街で営業を続けてきたという。食堂、そして惣菜店と時代に応じて業態を変えながら、約1世紀にわたり新町の住民、そしてここを訪れる人にぬくもりを与えてきた小さな小さな惣菜店。そんなステキなお店の歴史を紐解きに、絶メシ調査隊・ライター増山が腹をすかせて突撃した。

(取材/絶メシ調査隊 ライター増山かおり)

花街で働く女性の心をも満たした
“優しい味”を継承する惣菜屋さん

ライター増山

「2回目の登場となる絶メシ調査隊の増山です。弁当好きです。ここに来る前に高崎名物の『だるま弁当』を2個購入しました。取材が終わったら全部食べ尽くしたいと思います……さて、デイリーにお店で惣菜や弁当を購入している人は少なくないと思いますが、おそらくコンビニやスーパー、もしくは弁当(惣菜)のチェーン店で、という方が多いのではないでしょうか。今回ご紹介するお店は、こうしたお店のライバル関係にある個人経営の惣菜店さん。かつては食堂を営んでいたそうで、業態を変えつつ創業から約100年も新町で営業を続けているとか」

今回、取材に応じてくれたのは坂本正徳さんと、その母親の坂本てる子さん。
まず店の名前がおもしろい。「扇港」と書いて「せんこう」と読む。群馬は海なし県なのだが、「扇の港」である。なぜなのか?
正徳さん

「創業者はうちの祖父です。ただ、扇港という店は祖父がやる前に、神戸出身の人物が営んでいて、その方がつけた屋号なんですよ。なんでも、神戸の港が扇の形をしているから『扇港』という名前にしたとか。遡れば、その店は約100年前にはあったみたいで、その時は食堂だった……正確に言うと、お茶もできるし、ご飯も食べられるようなお店だったと聞いています。その店をうちの祖父が店名も業態もそのまま引き継いでやることになったんです」

ライター増山

「なるほど、そういうことなんですね。でも、神戸出身の方がやっていた“初代・扇港”から数えると100年! すごい歴史ですよ」

正徳さん

「まぁ、祖父が継いでからでも80年はゆうに超えてますからね。創業当時の話については、伝え聞くばかりなんですが……昔はこのあたりも賑やかな街でね。“群馬の上海”なんて言われていて、いわゆる花街だったんですよ。遊郭なんかがあったりして、そこで働く人や遊びに来る人がうちのお客さんだったみたい」

ライター増山

「そうなんですか」

正徳さん

「俺なんかが生まれるずっと前の話だけど、うちの店の前に格子の壁があって『寄ってきな、寄ってきな』って女性に手招きされてたって、古株のお客さんが嬉しそうに言ってたなぁ(笑)。そういう遊女のみなさんも、お仕事前にうちで腹ごしらえしていったりね」

ライター増山

「惣菜屋さんに来て5分で聞けるレベルのエピソードじゃないですよ(笑)。でも“遊女が愛した味”ってことかぁ…ロマンがあるなあ。ちなみに私たちが知っている範囲では、このあたりは昔、カネボウさんで働く職員の方、陸自の駐屯地で働く自衛隊員のみなさんで賑わっていたとか」

正徳さん

「そうですね。あとは学生さんも多かった。昔、上武一高という高校があって、そこの生徒が部活終わりにうちの座敷に上がり込んで、むしゃむしゃ食べてたりしてたなぁ。実はいまだにその卒業生がうちに来て、あの味が食べたいって、うちの惣菜や弁当を買いに来てくれたりするんですよ」

焼魚、いなり寿司、やきそば、まぜごはん、かき揚げ、ちくわ天……店先で売られている商品はすべて手作り。その味付けは、食堂時代を受け継いだものだという。そんな懐かしい味を求めて、数十年の時を経てもなお惣菜や弁当を買いに来るお客さんがいるというエピソードだけで、白米3合は食べられそうである。って、腹減ってたの忘れてた!
てる子さん
「もしかしてお腹空いてらっしゃる? だったらお餅でもどうです? 今、焼き上がったから是非食べてみてください」

と言いながら、出されたのが、

ほんのり醤油の香りがする、アレ。

ライター増山

「超いい香りです! これ、おいくらなんですか?」

てる子さん
「あ、売り物じゃないです。ただ、餅があったから焼いただけで」
正徳さん

「うちはこういうことするんですよ。お客さんに食べて行きなって、お餅出したりね。おせっかいかもしれないけど、これがうちのスタイル」

それ、ナイススタイルです。

惣菜屋を継ぐ前は店
兜町で働くエリート証券マン

戦前からずっと「食堂」として街の人に愛されてきた扇港。なぜ、そんな老舗が「惣菜屋」にリニューアルすることになったのだろうか。その経緯について話を聞いた。
正徳さん

「食堂から惣菜店として改装オープンしたのは平成5年(1993年)1月のことでした。実はそれ以前、俺は会社員だったんです。証券マンとして、東京の兜町で働いていたんですよね。入社が87年なのでバブル絶頂期でした」

ライター増山

「えっ、バブル時代の証券マンなんて、めっちゃ花形じゃないですか!」

正徳さん

「ですね。高校時代に生徒会長をやっていて、さらに担任が株好きだったこともあり、その先生から勧められてね。高卒ではなかなか難しい業界でしたけど、ある大手証券会社がうちの高校から2〜3人くらい採用していたので、そこを受けてみたら合格したんですよ」

ライター増山

「実家の食堂を継がずに、証券取引の世界に……すごい展開ですね」

正徳さん

「でも、証券の世界も徐々にダメになってきた時期でもあってね。入社年がブラックマンデーだったし。あれは忘れもしない、やっと仕事を覚えだした10月のある日のこと。朝、職場に行って株価ボードを見たら、全て青文字…値段がついてないんですよ。あの日のことは忘れません。その後も、なんだかんだと好景気の余韻みたいなものもあって、しばらくはあの業界もよかったんですけどね。その3年後くらいからかなぁ、うちの会社でも辞める人が出始めてきました」

ライター増山

「バブル崩壊……」

てる子さん
「それと時を同じくして、うちの食堂もあんまりうまくいかなくなってね。時代が変わり、街も変わってしまった。新町のこのあたりもかつての賑わいはなくなり、食堂としてやっていくことに限界を感じていました。そこで惣菜屋として心機一転、ゼロから始めようと思ったんです。何十年も食堂としてやってきていたので、勇気がいりましたが」
正徳さん

そのタイミングで俺も会社員やめて、実家に戻ろうと決心しました。そうそう、まさにそのときに長男が生まれたんですよ。すごいタイミングですよね。まぁ、看板を守るためにも、家族を守るためにも、とにかく成功するしかありませんでした」

料理人であった正徳さんのお父さんは、伊勢崎の有名料理店や伊香保の老舗温泉旅館に勤めつつ、朝は出勤前に仕込みをして、夕方に帰宅後も新業態の成功のためにフライパンを振り続けた。日中、お店を切り盛りするのは、てる子さんと正徳さん夫妻。たまに親戚の叔母が手伝いに来てくれた。そうした家族一丸の努力もあり、改装早々、店の評判は上々だったという。
正徳さん

「ちょうどこういう店が流行りはじめていた時期だったこともあり、最初から珍しがって結構お客さんが来てくれたんですよ。商店街にもまだ20くらいお店が残ってたし、売上もあって、なんとか食っていけるなと」

てる子さん
「しばらくすると商店街からお店が減ってきて、この街にやってくる人も少なくなったんですが、その分を口コミで広がったお弁当が助けてくれました。今ではお弁当が売上の6割くらいです。最近は若い方も口コミでいらっしゃってくれて。昔ながらのお店がいいんだとか言ってくれて……そういうのがこれからも続けばいいですけどね」

一瞬チェーン店に取られたけど
結局、お客さんは帰ってくる

人気のお弁当はちょっと小ぶりな400円シリーズと、通常の500円シリーズが基本。弁当に使う米は毎年、産地を変えつつその年で最良のものをチョイス。またおかずはお客さんの好みにあわせて、カスタマイズできる。このあたりは個人店ならではのきめ細かいサービスといえよう。また婦人会や少年野球のクリスマス会用の仕出しなど、地域のイベントにも対応。小さな注文から大きな注文まで、なんでも受け付けているとか。

正徳さん

「そういえば少し前に、街の運動会用におにぎり1300個ってオーダーが入ったこともありましたね」

ライター増山

「おにぎり1300!!」

正徳さん

「そうなると夜中2時ぐらいから厨房に入らないといけないわけですよ。うちのおにぎりは型を使わないから、全部手作業。だから結構大変で、最初に注文数を聞いたとき『コンビニで買えばいいのに』って思ったくらいですけど、でもやっぱりうれしかったんですよね。だって、わざわざうちにオーダーしてくれるんですよ。もう家族総出で、狂ったように握りましたね」

業態を変えて25年。大きなスーパーもできて、雨後の筍のようにコンビニがオープンしていった。その都度、店の売上に影響があるのではないかと不安を感じていたというが、今では「そうした不安は一切ない」とてる子さんは言い切る。

てる子さん
「新しいお店がオープンすると、最初はお客さんも少なくなるんですけど、しばらくすると『味に飽きた』ってうちに戻ってくるんですよ。周りに惣菜やお弁当を売るようなお店ができたからといって、なにも不安を感じることがないんだなってことが、やってるうちにわかってきたんです」
正徳さん

「つっても、うちのだって2週間や3週間食べ続けてたら飽きますけどね(笑)。そういうときには、別の店に行っていただいて全然よくて、そっちに飽きたらまた戻ってきてくれるものなんです」

てる子さん
「もちろん飽きられないように努力はしてます。お客さんにも『飽きたら言ってください』って伝えてますし。お弁当の注文を取るときも、飽きたおかずがあれば変えますよって。それくらい言えるとお客さんも楽でしょうしね」
ライター増山

「それ、個人経営の強みですよね。お客さん一人ひとりの生の声に耳を傾けられる」

てる子さん
「そうですね。そうやって向き合っていると、お客さんもずっとうちの弁当を取ってくれる。お得意さんもそうですね。不思議なもので、あるお取引先がなくなって『大変になるなぁ』と思っていると、別の新しいお得意さんができたりする。この商売をして長くなりますけど、いまだにそういうめぐり合わせは面白いものだなって思います」

泣きたくなるような日を
乗り越えなければいけない

不安を感じていない――てる子さんはお店の経営についてそう語る一方で、インタビューの中でこんな印象的な言葉を口にしている。

“毎日忙しいならいいけど、そうもいかない。時には泣きたくなるような日もあるわけですよ。そういうのを乗り越えないと、長くは続けられない”

飲食店なり、こういった商店をやっている方であれば、誰もが染み入る言葉に違いない。当たり前の話だが、不安がないわけではないだろう。しかし、てる子さんと正徳さんはどこまでも明るく、前向きにお店について語る。その口調、そして表情はとてもまぶしい。彼らのそんな姿勢は、おそらく今後も変わることがないだろう。

正徳さん

「俺なんて、親父みたいに料理の修行をしてこなかったから、毎日が手探りなわけですよ。お客さんのリクエストでメニュー開発とかしたりね。でも最近は楽になりました……なんせクックパッドがあるからね。あれ、便利ですよ!

ライター増山

「クックパッドがあればいくらでも新作できちゃいますね(笑)」

正徳さん

「ね! あと50歳になってやっとやる気が出てきたんですよ。それまでだってある程度はやる気があったんですけど、魂の込め方が変わってきた

てる子さん
「いいことなんだけど、もうちょっと早く、魂込めてくれたらねぇ(苦笑)」
ライター増山

「お母さんの笑顔でこっちまで笑顔になっちゃいます(笑)。それにしても正徳さん、なにか心境の変化でもあったんですか?」

正徳さん

「子どもが二人巣立ってね。この前、結婚式だったんですよ。あと姪っ子に子どもができて、孫みたいで可愛くてしかたがない。ああいうのを見ると、自分に何ができるかなって。いや、何かしないとなって……気合いがみなぎるというか」

てる子さん

「ふふふ、お前も親の気持ちがわかってきたかい?」

正徳さん

「親の気持ちはわかってるって! 俺、50だよ(苦笑)!そうじゃなくてさ……(しどろもどろ)」

ライター増山

「きっと忙しすぎたんですよね、お子さんが生まれたときは。ずっと突っ走ってきたから、そういう巣立ちの瞬間を目の当たりにして、いろいろ思うことがあったのでは(必死のフォロー)」

正徳さん

「それそれ! そういう余裕がなかったんだと思うんですよ」

ライター増山

「ということはですよ、今の惣菜やお弁当は最高の出来なんじゃないですか? 一番気持ちが乗っているわけですから!」

正徳さん

「間違いないですね。事実、最近は新しい献立もポンポン出てくるんですよ。思考回路が研ぎ澄まされたというか。そうそう、ずっと死ぬまでこの脳の状態をキープしなきゃいけないって思ってるので、俺、最近ヨガ始めちゃったんですよね」

ヨ、ヨガ?
ライター増山

「惣菜のレシピを考えるためにヨガやっている人は正徳さんくらいかもしれません(笑)。お二人の掛け合いがとっても楽しいのでもっともっとお話をしていたいですが、そろそろお時間ですので、最後の質問として、今後のお話をお聞かせください。正徳さんはまだお若いですが、お店の将来、特に後継者についてどうお考えでしょうか?」

正徳さん

「そうですね……うちは息子二人なんですけど、長男は超有名旅行代理店に勤めていて、多分辞めない。次男はディズニーランドあたりのホテルに就職して、多分ここを継ぐ気もないと思いますね。だから俺の代で終わるのかなぁ」

ライター増山

「それ、さみしいです……。戦前から続く味が絶えてしまうことを考えると、そこはなんとかなったらいいなぁって思っちゃいます」

てる子さん

「先のことはわかんないよ。だから私たちは毎日を一生懸命やるだけ。それこそ孫たちも戻ってくるかもしれない。なんせ彼らの父親は証券会社を捨てて帰ってきたくらいなんだから(笑)」

小さな、だけどとってもステキな街の惣菜店、扇港。長年、この街で愛され続けてきた味がここにはある。いつまでこの味が楽しめるのかは誰にもわからないけれど、街のみなさんがずっと愛し続けていたら、きっと何らかの形でバトンは繋がれていくに違いない。絶メシ調査隊は、そう信じたい。

取材/増山かおり

撮影/今井裕治

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