一見普通の町中華だが
「中国料理研究部」仕込みの
折り紙つきの超名店
一見普通の町中華だが
「中国料理研究部」仕込みの
折り紙つきの超名店
絶メシでは、これまで数々の町中華を紹介してきた。この企画に携わるまでは正直、町中華というものはお手頃価格でそこそこのボリュームがあり、基本的に大きく外すことはないが大当たりもほとんどない、要は無難なものという印象だったのだが、これまでの記事をご覧いただければおわかりのとおり、一癖も二癖もある名店ばかり。どんだけクオリティ高いんだ高崎! ということで今回も期待を込めてのれんをくぐる調査隊一行である。
「町中華なら定食が基本、をモットーとしている田中です。レバニラ炒めや青椒肉絲なんかとご飯を一緒に頬張るのが好きなんだから仕方ありません。今日もそんなことを想像しながらお腹をすかせてやってまいりました。『栄鵬』というネーミングといい、看板やガラスに書き込まれたフォントといい、ナイス中華っぷりがにじみ出てますね。あぁ、早く中華定食で白米をかっ込みたい……」
食欲ギンギンな様子で入店したライター田中を迎えたのは、店主の関栄吉さん。とっても笑顔が素敵な“高崎の栄ちゃん”である。
「まずはお店の成り立ちからお聞かせください(腹減ってるからすぐ食べたいけど)」
「どこから話せばいいですかねぇ。あの、私は嬬恋の出身なんですが、昭和43年に高校卒業してすぐ東京に行きまして、『食糧学院』という専門学校に入学したんですよ」
「話が長くなりそうですが、了解です。えっと『食糧学院』……校名からしてガチ感がすごいですね。最初から料理人を目指して上京して、基本から順を追って学んでいこう、ということですか?」
「そうなるのかな? 昼間は食糧学院に通って、夜は飲食店で働く、という生活でした」
「順を追うどころかいきなり実地訓練じゃないですか。夜働かれていたのは、どんな店ですか?」
「えっと、御茶ノ水に湯島聖堂ってあるでしょ」
「湯島聖堂? 合格祈願で参拝するあそこですか?(働いてた中華店の話を聞いてるのに…)」
「そうそう。湯島聖堂に『書籍文物流通会』という、主に中国の本や文化を紹介する組織があるんですね。原三七と中山時子、どっちも中国文学者なんですけど、この人たちがやってた団体」
「はぁ……今お聞きしているのって、夜働かれていた飲食店の話なのですが、湯島聖堂やら書籍文物流通会という組織やら、話が脱線しちゃってませんか(ぼかぁ早く食べたいんですよ)」
「いやいや、大丈夫。『書籍文物流通会』の中に『中国料理研究部』という部門がありまして、そこが運営する『知味飯店』というお店で働くことになったんです」
「ほうほう、話が繋がりましたね。…だけど、突然話のスケールがでっかいというか、『中国料理研究部』が運営する飲食店で料理人修行スタートって、ちょっとスタートから本格的すぎません? 意識高すぎというか…」
「そうですかねぇ。親戚のおじさんの知り合いのツテで入れてもらっただけなんですけど。意識高いかなぁ」
10代にして、中国文化を広めるための団体の中国料理研究部が営む中華料理店で修行を積むという貴重な経験をした関栄吉さん。彼の中華成り上がり人生は、ここからはじまる。
「知味飯店さんでは何年ぐらい修行されたのでしょうか」
「だいたい4年ほどかな。あそこはとにかく教えてくれるペースが早いんですよ。入って一年は皿洗いとか見習いとか、そんなことないの。上の人がどんどんいろんなこと教えてくれるの。ついていくためにこっちも必死で覚えるしかないんですよ」
「スパルタですね。でもそのおかげで一気に腕も上がりそうですよね」
「そうなのかな? それで4年ぐらいお世話になってから、他の中華料理店でも働きました。いろんな味も覚えたくてね。原宿では今もある『南国酒家』にも一年ぐらいいました。点心の親方で来てくれって声かけられてね」
「点心の親方! いちいち気になるフレーズの連続ですね。しかもあんな高級店で親方待遇なんて、めっちゃくちゃ成り上がってる!」
「南国酒家、入ったことある?」
「えっと、道路挟んで向かいの喫茶店なら入ったことあります」
「……」
「すみません……」
「自分の店『栄鵬』を開店したのは昭和49年です。場所は(東京の)小岩でした。上京して6年、ようやくって感じでしたね」
「『栄鵬』という店名はどうやって決められたんですか?」
「私の名前が『栄吉』で、横綱の『大鵬』が好きだったんですよ。それで一文字ずつとって『栄鵬』」
「大鵬ですか。時代を感じますね。ということは、今では白鵬関を応援してるとか」
「ううん、全然」
「あ、そうですか。じゃあ今好きな力士は?」
「相撲自体を見なくなっちゃった」
「承知しました!」
第1子誕生のタイミングで、小岩から地元・高崎に戻ってきた関さんご夫妻。当初は子どもの面倒を見てもらうため、奥様のご実家がある玉村で営業を再開したという。その後、昭和58年に今の場所に移動。土地の購入代、建物の建設費用、さらに設備投資費のため借金をすると、それらのローンだけで月33万円にも上ったとか(昭和50年代に、しかも子ども生まれた直後に月33万のローンって!)。妻・理恵子さんは「当時の利息が年9.45%……若さとバカさと一緒だったから、がむしゃらにできたんだと思いますよ」と振り返る。
話が尽きない関さんだが……そろそろ食事の方もお願いします!!!!
「メニューがやたらと豊富ですけど、やはり中国料理研究部のような本格中華がベースに?」
「最初はそうでしたね。でもそのままやればいいってもんでもないでしょ。前は鯉の丸揚げとかも出してたんだけど時間かかっちゃうからね。予約してくれていれば対応できるけど、直接お店にきて注文されると困っちゃってね」
「それでメニューを少しずつ切り替えていって、一時期はカツ丼とかも出してたんだけどね」
「今よりメニューが多かったってことですか!?」
「そうだったかもしれないですね。でも当たり前だけど手間がかかりすぎちゃうんですよね。それで原点の中華、だけど一般的な定食を中心にしていきました」
「そんな中で自信の料理は?」
「青椒肉絲と茄子炒めだね(即答)」
そう告げるが早いか、関さん夫妻は厨房に入ってテキパキと動き出した!
コンコンコンコン
ジュジュジュジュジュワ~
チン!ジャオ!ロ〜ス!!
同時進行で茄子炒めも!
この笑顔で持ってくるんだもの
ようやくこの時が来た!
まずは青椒肉絲から。
あ〜ん。
「どっちもめっちゃウマいですね。僕が町中華に求めている味わいがここにはありますよ。なんというか、ウチの近所にあったら間違いなく通い詰める系の、しっくりくる味。値段の安さから来るある種の妥協、『まぁ仕方ないか』がまったくない、100%の満足がありますね。感動ですよ」
「つーか、野菜がウマいですね」
「お、それはうれしいですね。野菜は私の実家で作ってるのを直送してもらってるんですよ。だから野菜には自信があります」
「なるほど! 原価のこと考えると野菜代も馬鹿にならないですが、そういうカラクリがあったか! ウマいものには理由(ワケ)がありますね」
「ははは、ありがとう。まぁ、こんなに喜んでくれるなら、もっと作らなきゃね」
「ほげっ!?」
そして秒で、絶品中華が続々登場!
「もはやお祭りですね! って、なぜ中華店でマカロニサラダが(笑)」
「あ、これね。昔テレビを見てたら、神田あたりの洋食屋さんがマカロニサラダを出しているのが紹介されていたんですよ。なんだそれと思って、試しに作ったら結構うまくできたんで、それ以来出しています。ちなみに定食のセットメニューとして、マカロニサラダかコーヒーのどちらかを選んでもらうようにしてます」
「マカロニサラダかコーヒーの二択とは、なかなかのアレですね」
「サービスだからね、細かいことはあんまり気にしないでね」
「あまりの美味さとボリュームでついついくつろいでしまいましたが、今更ながらお店の前にあったアレはなんなのでしょう」
「ん?」
「アレですよ、アレ(と指をさしながら)」
こちらが「アレ」
「アレね。岩苔っていうんですよ。この辺の人たちは岩松っていうの」
「お店の装飾用とかですか?」
「完全な趣味。常連のお客さんで、奥さんが長野の人がいるんだけど、好きなだけ取れるからあげるよって大量にもらうことになって」
「大量にもらってきて、それだけでもたくさんあったのに、育て方のコツを覚えたら増えすぎちゃったんですよ。今は欲しい人にはあげたりしてますけど、枯らしちゃうこともあるみたい。難しいのかな?」
「コツって言っても、夏に水あげるだけなんだけどね。冬はほったらかし」
「いい顔されてますねぇ(ほっこり)。それでは最後に、お店の今後についてお聞かせいただいても構いませんでしょうか」
「息子が船橋の方で料理人をやってたこともあるけど、うちを継ぐってなるとどうかなあ。やらないんじゃないかな」
「周りでも閉店する店は多いし、さみしいけどうちもいずれそうなるでしょう」
「そんときはそんときだよ」
自分で開いた店は自分一代のもの。町中華としては本格的すぎる味も、本格的な場で修行した自分ならではのもの。そうした潔い決意を言葉の裏ににじませつつ、終始笑顔を絶やさない関さんご夫妻。もっともまだまだ2人とも元気溌剌なので、食べに行ける時間は充分にある。近くに寄ることがあるなら、ぜひふらっと立ち寄ってもらいたい。何気なく注文した定食のとんでもない美味さに、きっと誰もが驚くはずだ。
No.50
栄鵬
027-372-0840
11:00〜14:00/17:00〜20:30
月曜日
群馬県高崎市中泉町127-4
井野駅から2,860m
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