洋食屋もラーメン屋もやった
洋食屋もラーメン屋もやった
高崎市街地から吉井へ向かうと見えてくる、県道71号線沿いに佇むスパゲッティとピザの店「とすかあな」。現代アート的な男性の顔面イラストが描かれたイタリアンカラーの看板に、脱力系フォントで書かれた「とすかあな」の文字。そして、その隣には“辛い!!ごま味スパゲッティ”の煽りコピー……もはや、絶メシ調査隊を誘っているとしか思えない店の佇まい。よろしい。早速、調査しようではないか。
全国でここでしか食べられない
オリジナルスパゲッティの店
「うまいメシが食べられると聞いて、今日もせっせと高崎にやって参りました、ライター船橋です。なんでも本日は、激的にうまいスープスパをいただけるとのこと……って何度言ったら絶メシ調査隊の幹部は私が低糖質ダイエット中だということを理解するのでしょうか。毎回この現場、炭水化物祭りじゃんよ! まぁ、うまいものには目がないのでいいですけど」
店内はこんな感じ。
ランチタイムが終わりかけの昼下がり。店内には、ランチを終えておしゃべりを楽しむ高崎マダムたちがちらほら。そんなみなさんが一様にオーダーしているのが、「とすかあな風スパゲッティ」なるメニュー。
「地元の人が食べているもの=うまいものなんですわ。これはすぐ胃袋に入れなければならない…」
そうつぶやいたライター船橋は、隊長やカメラマンの意向を無視して、調査もそっちのけで店名を冠したまごうことなき看板メニュー「とすかあな風スパゲッティ」を即オーダー。こ、こ、こいつ普通にメシを食いに来てるんじゃ…??
なお、「とすかあな風スパゲッティ」はメニューにも“全国でこの店しか食べられないごま味スパゲティです!!”と書かれてある。ほほう、ごま味のパスタとは興味深い。しかも辛さについても「普通、倍辛、極辛、8倍辛」で調整が出来るとのこと。
まぁ、ここは迷わず8倍辛をオーダーするよな? な、船……。
「倍辛でお願いします(いけしゃあしゃあ)」
またムカつく顔してオーダーしてんな…。というかおもしろライターとして、ここは8倍食べて悶絶するのがセオリーだろ!
「なんですか、その古いおもしろ」
ぐぬぬ(たしかに辛いグルメ→悶絶レポは古いけどよ……お前なんてリバウンドしちまえ)。
ごまとあさりが奏でる
絶妙なハーモニー♪
オーダーが通されると、店主の山口守さんがキッチンでテキパキ調理。
具材は、イカ、あさり、ベーコン、タマネギなどたっぷり使う。
気づけばすでにこの状態。山口さん、手際良すぎますよ!
ものの数分でできあがり。ワクワクさんだ…。
そして姿を現したのがこちら!
出た!
わお!
チャーシューやコーンといった具材、そして茶色くも白濁したスープ。見た目はパスタというより札幌ラーメンに近い。バターが乗っていたら、もう札幌ラーメンでしかなかろう。
ただ、運ばれた直後から鼻腔を襲うごまと海鮮系スープの香ばしい香り。こんなの絶対にうまいに決まっている。ライター船橋も食べる前からこのごっつぁん顔だ。
さぁさぁさぁ、ごっつぁんいっちゃいますよ~!
まずはスープから。
ズズズゥ〜。
「ぎゃっ! ごま風味の中にしっかりと海鮮の出汁を感じられる…。なんていうかこれ、コクとうまみのバランスが最高じゃん! 倍辛を選んだ私の采配も素晴らしいし、ピリリとした辛みも絶妙。こいつぁ、やべえ代物っす。ひとまずスープは間違いないっす!」
お次はスパゲティだ。
もう、くるくるしちゃうゾ~!
はふっ。
「実はさっき、ガマンできなくてキッチンを覗いていたんですけど、麺は茹でおきだったんですよね。だけど、ぜんっぜん伸びてない! むしろ、ぷりっぷり。麺の弾力具合ものど越しもいいし、これが旨みたっぷりのスープとほどよく絡んで、もうたまりませんわ…。はぁ、これを作ったシェフを呼んでください。マジでご挨拶したいくらいのうまさだし!」
最初に出した洋食店
店名がアレすぎてトラブった話
スパゲッティをくるくる巻く手が止められないライター船橋。調理と片づけを一通り終えてやって来たのは、店主の山口守さん。「とすかあな風スパゲッティ」を考案し、作りあげた張本人だ。
「あの、素晴らしくおいしくて、遠慮なく糖質吸収させていただきました。いや、ホント満足です。こんなお料理に私を出会わせてくださってありがとうございます(ペコリ)。にしても独創的なスパゲティでしたけど、どうやって生み出したんでしょうか?」
「ありがとうございます。当時、すでに高崎では『シャンゴ』さん(高崎を代表する老舗パスタ店)が流行っていたんですが、スパゲッティを自分の店でやるなら同じものを出したらダメじゃないですか。それでいろいろ考えて編み出したんですが……実は、この店を開く前、ラーメン屋をやっていたんです。その時に担々麺を出していたんですけど、ゴマと麺が合うって気づいて、これはイケると」
「なるほど。にしても特にスープがウマかったんですけど、あれってどういう作り方をしているんですか?」
「たいしたことはしてないですけど、うちではチャーシューをローストするんですが、この焼き汁とあさりの出汁、ラーメン屋で使っていた醬油タレを継ぎ足して使っているんですよ。これに煎ったゴマ、そして唐辛子ともう1つ秘密の辛みを合わせて作ってます。そこについては企業秘密で(笑)」
「気になる〜(笑)。それはそうと、山口さんは元ラーメン屋さんだったんですね。スープも麺もうまいのは、ラーメン屋での経験があったからと考えるといろいろ納得です」
「今の店『とすかあな』は35年と長いんですが、その前の1年半はラーメン屋でした。弟が中華の料理人だったので、一緒にラーメン屋をやることになりましてね。その時に作っていたのがあさりラーメンなんです。これに担々麺の要素を加えてアレンジしたのが、『とすかあな風スパゲッティ』というわけなんです」
「おお、それを聞くとより納得です。たしかにあさりスープ×担々麺な味でしたし。この組み合わせは発見ですよね。すごいセンスだなぁ。山口さん、天才なんじゃないですか?」
「いやいや、僕、何度も失敗してるんで」
「なんですか、その逆ドクターX的な物言いは(苦笑)」
「ラーメン屋の前はランチ主体の洋食屋を2年ほど、その前もカウンター席のみの洋食屋を2年ほど自分でやっていたんですけど、どちらも潰してます(あっさり)」
ここで一旦整理しよう。山口さんが営んでしたのは、1軒目と2軒目が洋食屋さん、3軒目がラーメン屋さん、そして現在の「とすかあな」といった具合である。現在の店は35年続く名店であることは間違いないが、そこに至るまでに、実に3軒も閉店に追いやったことになるのだ。
「潰しましたねぇ。ちなみに自身で店を経営する前の修行期間とかもあったんですよね?」
「はい。元々、僕は東京にあるレストラン、三笠会館で洋食をやっていたんですよ。それから目の視力が一気に低下しちゃったこともあって、地元・高崎に戻って来たんです。今から40年ほど前だから、24歳のときかな。それで自分で店をやろうと、洋食屋を始めたんです」
「24歳で高崎に戻って洋食屋ですか。でも東京の三笠会館って名店じゃないですか。そんなところで腕を磨いて、凱旋帰郷して……なぜお店をたたむことになったんです?」
「洋食屋にも関わらず店名を『スナック』にしたこともあって、怖い人が“挨拶”にくるようになっちゃってね。やむなく…」
「や、山口さん…?」
「その次の洋食屋は、前回学んだ教訓を生かして名前を『ミニレストラン ぐるめ』にしたんです。客足はよかったんですけど値段を抑えすぎて赤字続きで閉店しちゃいました」
「東京の名店で洋食を学び、洋食で真っ向勝負して地元で2連敗。それで3戦目はラーメン屋としてマウンドに上がったわけですね」
「はい。さっきもお話したように中華料理人だった弟と一緒に高崎駅の西口に『ラーメン ぐるめ』という店を始めたんです。なかなかの繁盛店だったんですけど、やっぱり兄弟でやると、いろいろとね…。喧嘩別れじゃないですが、解散ということで」
「解散って、バンドじゃないんですから…」
そんな山口さんが3軒の閉店を経てオープンしたのが、ここ「とすかあな」。当時からスープスパ「とすかあな風スパゲッティ」を提供していたが、高崎市民に受け入れてもらうのには時間がかかったという。なにせ35年も前のことなのだから。
「スパゲッティにゴマなんて合わないって言われてたし、周りにも新店ができてきて置いてけぼり状態でした。でもね、ごま風味は絶対にスパゲッティに合うって信じて、しつこくやり続けました。それが功を奏したのか開店から2年ほど経ったとき、リピーターさんも増えて徐々に受け入れてもらえるようになったんです」
「信じてやり続けたことで結果がついてきたということですね。なんか素敵な話です」
コツコツと丹念に、そして諦めないこと。————山口さんは、かつて営んでいた3軒はわずか数年で閉店してしまったけど、ここ「とすかあな」を始めた35年が経った今、長く続けてきた秘訣をそんな言葉で伝えてくれた。
「僕は失敗続きだし、決して成功者なんかじゃないですけど、おいしいものを出したいという一心があったからお店をやってこられたんだと思うんです。あと、最初の1軒を出したときから、妻にはずっと支えてもらってます。妻が勤め人というのもあって、僕は自由勝手にやってこられたんです。面と向かって言ったことはないけど、感謝してもしきれないし、いつも本当にありがとうと思ってます」
オープン当初から今でもディナータイム限定で手伝っているという奥さん。山口さんがお店を続けてこられたのは、働きに出た後もお店に立ってくれたという献身的な支えがあってこそだという。メシもうまければ、夫婦の愛情に満ちたここ「とすかあな」。今後の行方が気になるところだ。
「お店の後継者問題についてはいかがです?」
「せがれも娘もいるんですけど、継ぎたいとも言われたことなければ、僕自身も一度も継いでほしいと思ったことはないです。だから後継者という後継者はいないですね。レシピを教えてほしいと言ってくれる人もたまにいるんですけど、やっぱり料理は作る人によって違う味になるもの。それにお店を自分でやるなら、僕の後を辿るのではなく、自らが失敗して学んでいったほうがいいと思うんです。自分の人生は誰のものでもなく、自分のものですからね」
お店を開いては閉店して、これを繰り返すこと3回。それでも何度も立ち上がってきた山口さん。物腰はやわらかく控えめな人柄だけれど、自分が信じた味と料理への情熱は誰にも負けない。