100周年で閉めるけど…
美しき名物女将が語る
老舗の“最後”と“これから”
100周年で閉めるけど…
美しき名物女将が語る
老舗の“最後”と“これから”
麺の街・高崎で、そばまたはうどんといえば、真っ先に名が挙がる「きのえね」。創業は大正13年。100周年もすぐそこに迫る老舗で、地元の人から人気を集めているという。だが、そもそもなぜ歴史ある人気店が絶メシ調査隊のターゲットに? その理由を探るため、小雨がぱらつく某日、かすかにだしが香る暖簾をくぐった。
「絶メシ調査隊きっての“すすり屋”こと井上です。1泊2日で15軒のうどん屋を巡ったりしたこともある、無類のうどん好きです。異様な大食いってわけじゃなくて、うどんは別腹ってだけです。さて、今回お伺いしたこちらのお店。5年10年では出ない渋い外観といい、外まで漂うだしの香りといい、高まりますね~」
午後2時。とっくに時分時は過ぎているが、細長い店内は奥までお客でいっぱい。一人帰ったと思えば、また一人やってくる。なるほど、ウワサどおりの人気店。(高崎市民的に)なくなっては困る昔ながらの店を調査している身としては、この「全然なくなりそうもない感」になんだか拍子抜け(いや、とても素晴らしいことなんだけど)。
さて、そんな活気ある店内を軽快に動き回る一人の女性。店のすみずみまで目を配り、厨房に指示を出し、常連客と雑談を交しつつリズミカルに注文をさばくその人こそ、生家の暖簾を守る4代目・岡田恵子さんだ。
現在、お店を支えるのは、恵子さん含め3人の女性。接客は長女・恵子さん、そば打ちや調理全般は次女・弘恵さんが担当する。
そしてそんな働き者の娘たちを見守るのが、現在も“看板娘”として活躍する母・とし江さんだ。
「老舗のそば・うどん店をこんな美人さんたちが切り盛りしているなんて、それだけで貴重です! まずはお店の歴史から聞かせてください」
「『きのえね』の前身は、嘉多町にあった『阿ら玉(あらたま)』という料理屋で、そこでは牛鍋からそば、うどん、洋食まで何でも出していたと聞いています。創業年はもう分からないのだけど、大正初期かしら。その後、大正13(1924)年に連雀町に移転して屋号を『甲子(きのえね)』に変え、次第に“そば・うどん部”だけが残ることになりました。先代が時代のニーズを読み取って判断したんでしょうけど、おかげさまでそれ以来90年以上、そば・うどんの店としてやってこられました」
「さすがご先祖さま、先見の明がありますね」
「特に創業者の島方丑松(うしまつ)は、新しいものに対してアンテナが立った人だったんですね。高崎の活性化にも熱心で、昭和6(1931)年に高島屋の『十銭ストア(※現在の100円均一ショップのような店)』が進出するとき、地元の商店がみんな反対する中、丑松が『これからの時代、こういう新しいものも受け入れるべきだ』と説得して回ったそうなの。そのことは高島屋の社史にも名前が載ってるのよ。また、人格的にも素晴らしかったようで、彼のお葬式には貧しい人もやってきて、(花を買うお金もないため)道端に咲いていた花を摘んで手向けに来てくれたと聞いています」
「歴史の教科書に載るレベルのエピソードですよ、それ。とっても偉大な方なんですね!」
「私もすごく尊敬してるの。2代目の定吉も商才があって、当時珍しいソフトクリーム製造機を導入したり、高崎競馬場に食堂を出店したり、戦前からいろいろなことに挑戦していたそうです。こういったご先祖さまたちの努力があって、今の『きのえね』があるのよね」
貴重な資料とともにお店の歴史を語ってくれる恵子さん。その言葉一つ一つに先祖へのただひたすらの敬意が込められている。
ところで、「きのえね」という屋号は少々耳慣れない。
聞けばこちら、十干(じっかん)と十二支を組み合わせた最初の干支を指すそうだ。新しい暖簾を掲げた大正13(1924)年といえば、ご存じ、かの関東大震災の翌年。当時を知る人はもういないが、始まりを意味し、古くから縁起がいいとされる店名には、復興への想いが込められているのかもしれない。
時代は昭和へ。戦後の復興期にあって「きのえね」は町一番のそば・うどん店として人気を集めていた。そんな人気店のお嬢さま、母・とし江さんとある男性との出会いが「きのえね」新時代の礎となる。
「母はいわゆる箱入り娘ですよね。エリザベス・テーラーやビビアン・リーに憧れて映画館に通いつめ、そのとき出会ったのが、農家の三男として育ち、映画技師になった父の広治だったそうです。『なんか真面目そうでいい感じの人がいる。きっとうちに婿に来てくれる』と企んだみたい(笑)」
そして昭和32(1957)年。夫婦となった二人は現在の旭町に店を構え、広治さんは3代目として約50年に渡り看板を守り続ける。
そんなお店に、存続の危機が襲ったのは平成16(2004)年のこと。
「いわゆる区画整理よね。うちはかなり古かったからセットバックもできないし、お店を続けるなら一から建て直さないといけなくて。周りはみんな貸しビルにして家賃収入で暮らしてたから、父もそうしたかったみたいなんだけど……」
「でも、恵子さんとしてはお店を継ぎたかった?」
「というより、父の代で暖簾を下ろさせるのがおやげない(群馬弁で「気の毒」)なと。だって、婿養子ながら群馬の麺類組合をまとめて、天皇陛下から叙勲を受けたこともある人なのよ。それなのにそこで看板を下ろしたら、『きのえね』は婿の代で閉めたってことになるし、せっかくここまで続いたものがもったいないじゃない? それなら、私の代までやろうと思って」
「それで平成16年に新装開店されたんですね。ところで、家族だからこそぶつかることもあったのでは?」
「私と父はたまにぶつかっていました。例えば、父は『ラクに儲かるから』と業者が持ってくる 丼物用のパッケージ食材を使っていたけれど、私はお店で揚げた天丼以外出したくなくて。だって、肩身の狭い商売をしてたらご先祖さまに申し訳ないじゃない? 胸を張れるような仕事をしないと」
平成21年、父・広治さんが死去すると、恵子さんが4代目に就任し、母娘の3人体制で再スタートを切る。
「一家の柱であるお父さまが亡くなり、恵子さんは急に老舗の代表となられたわけですね」
「しかもそれからが大変だったのよ! 当時私の再婚相手が店の厨房に入っていたのですが、いろいろとトラブルがあって……(苦笑)。暖簾を守るために我慢して(店に)いてもらう手もあったかもしれないけど、中途半端なことは嫌いなのよ。急に男手がなくなっちゃってもう大変で大変で!そんな時に妹が『お姉ちゃん、大丈夫!』って力強く言ってくれたんです。とは言え泣きながら仕込むこともあったり、営業前に『お父さん、今日もお願いします』と天国に向かってつぶやいたりもしました」
大正から昭和、そして平成へ。先祖たちが紡いできた老舗の味をなんとしても味わいたい。
まず注文したのは恵子さんのイチオシの「舞茸天そば」(900円)。
つゆに軽くディップ。
それでは、いただきます!
「(頬張ったまま)ほいひーい! 軽いコシがあって、風味ものど越しもよく、正統派って感じがします。それに、凛とした印象でやはり女性が作るおそばですねぇ。つゆはどちらかというと甘口かな。でも、くどくないから食べ飽きない。恵子さん、時間が許せばあと3枚くらい啜れそうなくらい美味しいです!」
「よかった~。そうだ、もう一つうちの名物があるの。ぜひ食べて!」
と言って、出されたのがこちら。
「うめ~豚うどん」(850円)。
お? さっきのそばと比べると、こちらは創作感が漂いますなぁ。真ん中に鎮座する球状の天ぷらは、なんと梅干し!
ニコニコが止まらない。
「わ~! 麺がすっごくなめらかでシルクみたい! なかなか他では体験できない口あたりですね。小麦粉マニアとしては銘柄が気になるところです」
「これはね、〝きぬの波“という地粉なの。この小麦粉100%で作ったうどんだけが『高崎うどん』と名乗れるのよ」
な~るほど! 勉強になります。さっきまでおそばに気を取られてうどんはノーマークでしたが、さすが日本有数の小麦の産地。讃岐や稲庭にも負けない、立派なご当地うどんがありました。
「このうどんは、すごく新しい感じがしますよね」
「ありがとう。建て替えをきっかけに、何か名物を作ろうと思って。JAに相談したり、食材の組み合わせを変えたりして完成したの」
「6年後には創業100周年を迎えるわけですが、今後のことも伺えますか」
「一度、私の代で区切りをつけるつもりでいます」
「ちょっと待ったーー! 自ら〝絶メシ“になろうというんですか!? これだけ人気なのに!?」
「常連さんには言ってるのよ。何ていうか、第三者に技術と伝統を教えるのって、正直、私としては微妙な気持ちがあって。ほら、生まれてからずっとこの香りと音に囲まれてきたからこういう味が出せるんだって、変なこだわりがあるの」
「たしかに、単なるレシピの話じゃないですもんね……」
「そうなの。体力的にもきついしね。毎日、30kgの釜を持ち上げて洗ったり、大変なのよ。『掃除はアルバイトに任せれば?』って言わることもあるけど、自分で使う道具を自分で手入れしないでどうすんのって思っちゃうの。まあ、変な形で残していくより、潔く100年でキリをつけようじゃないかと。だから、今回コレ(絶メシ)に載ったことで、辞められなくなったら困るのよね!(笑)」
「でも、暖簾を下ろしても妹と何かしらの形で地域のお役に立ちたいなと思っています。今さらただのおばさんにはなれないわよ。例えば、カフェにして『café kinoene』になるかもしれないし、ぼったくりバーを始めちゃうかもしれないし(笑)」
「こんな美人姉妹の店なら、喜んでぼったくられに伺います!」
食の変遷が激しい時代において、形態を変えることで暖簾を守り抜いてきたご先祖を恵子さんは心から尊敬している。こう考えてみてはどうだろう。「きのえね」は消えるのではない。100周年を機にそば・うどん部を廃止し、例えば〝カフェ部“ができるだけなのだ、と。
ご先祖さまには申し訳ないが、個人的には〝ぼったくり部”の爆誕にも期待せずにいられないけれど。
No.31
きのえね
027-322-5806
11:30~15:00
[土・日]11:30~16:00
水
群馬県高崎市旭町37
高崎駅(JR)から281m
絶メシ店をご利用の皆さまへ
絶メシ店によっては、日によって営業時間が前後したり、定休日以外もお休みしたりすることもございます。
そんな時でも温かく見守っていただき、また別の機会に足をお運びいただけますと幸いです。