高崎“絶メシ街道”の最古参
厨房には祖父・父・孫が揃い踏み
まさに絶滅危惧種級の大衆食堂
高崎“絶メシ街道”の最古参
厨房には祖父・父・孫が揃い踏み
まさに絶滅危惧種級の大衆食堂
高崎市街地から榛名エリアにつづく国道406号は果樹園の直売所が並ぶことから“フルーツ街道”と呼ばれる。実はこの通りは複数の絶メシ店が点在しており、絶メシ調査隊員の間では“絶メシ街道”の異名を持つ。そんな(絶メシ的に)由緒正しい通り沿いで古くから営業を続けるのが「冨士久食堂」だ。なんでもこの食堂、これまでの絶メシとは違って、親子三代で営んでいて後継者がバッチリ決まっているのだという。こ、これは絶メシ界の救世主! ということで、早速調査である。
「3度のメシよりもメシを愛するライター船橋です。でも、ダイエット中です。苦しいです。計量前のボクサーみたいな気持ちです。でも今日は食いますよ〜! ええ、仕事ですから。これ仕事ですから」
そんな腹ペコライター船橋がリバウンド辞さずの強い意思とともにやって来たのは、果樹園の直売所が並ぶ“フルーツ街道”、いや我々調査隊的に言うところの“絶メシ街道”に佇む冨士久食堂だ。
店頭には精巧な食品サンプルが並ぶ。あんかけの照り感がいい。
そして店内に入るとL字型のカウンター席にテーブル席。いかにもうまいメシが出てきそうな食堂の趣きだ。
うまいメシには鼻の利く我らが絶メシ調査隊。うまいものセンサーをビンビンに働かせながら、こっそりと厨房を覗き見。するとそこには、どことなく顔の造形が似通った面々が!
齊藤昭夫さん(店主)、政子さん(妻)、英昭さん(息子)、大斗さん(孫)の4人衆。ここ冨士久食堂を切り盛りする齊藤ファミリーである。そうここ冨士久食堂は親子三代仲良く営むお店。橋田壽賀子先生のドラマの舞台になりそうではありながら、家族間のゴタゴタとは縁遠そうなほんわかした食堂だ。
冨士久食堂は、1965年に昭夫さんが妻・政子さんと一緒に始めた店。現在は、息子で二代目の英昭さんと三代目の大斗さんが中心となり、店を切り盛りしている。
「親子三代でお店を営んでいるだなんて…! まさに絶メシ界の希望の星ですよ。そんなお店の歴史を紐解きたい! というわけで、お店を始めたきっかけを教えてください」
「ずっと昔、高崎の柳川町に『冨士久食堂』という店があったんです。私は18歳の頃からそこでアルバイトをしていてんですよね。で、3年くらい経ったある日、支店という形でお店を出さないかという話があって、とんとん拍子で独立しちゃったんです」
「え、18歳ではじめたアルバイト店で、たった3年で独立!?」
「昭和は、そういう時代だったんですよ。とにかく勢いがあった。本店にあたる『冨士久食堂』は、もう4年くらい前になくなっちゃったし、私たちのようにのれん分けされた支店も4軒くらいあったけど、もう軒並み閉店。だから『冨士久食堂』は、結局うちだけになっちゃったんです。最初は群馬八幡に店を構え、それから何度か移転を繰り返してます」
「なるほど。昭夫さんは、21〜22歳で店主ってことですよね。かなり若いですけど、不安とかなかったんですか?」
「ぜんぜん。開店当初はお金ないし、お客さんはなかなか来ないしで大変だったけどね。それでも当時の群馬八幡には工業団地があったから、夜一杯飲みがてらごはんを食べに来てくれる人が増えていったんです」
「そうそう、懐かしいね。お客さんが将棋なんかをやり出すもんだから、なかなか帰ってくれなくてね。夜中の1時2時までやっているなんてこともよくあった」
「えっ! 正直、仕事の邪魔というか、早く店じまいしたくならないもんですかね?」
「ううん、ぜんぜん。一緒に将棋を指してましたからね。楽しかったなぁ」
「じいちゃん(昭夫さん)は、いい加減だからね」
「それでね、最初に独立してから5〜6年経ったころ、私の実家がこの界隈にあるんですけど、高崎八幡まで通うのもしんどいし、当時の店は手狭だったということもあって、この辺りでお店を出そうということになったんです。それが今から33年ほど前かな」
「ほほう。今では絶メシ店もたくさんありますけど、当時のこの辺りはどんな感じだったんでしょうか?」
「当時はなんにもなかったんです。辛うじて果物屋さんはありましたけど。そんな寂しい場所にお店を出すって話になったとき、じいちゃんは度胸がなくて乗り気じゃなかったけども」
「……………(ちらり)」
「昭夫さん、無言で私に助けを求めないでください(笑)。そんな人通りの少ない場所での再スタート。当初はどうでした?」
「それがなんと、お昼時には列ができるくらいで(ドヤっ)。とくに土日は、お昼の11時~夕方の6時ころまで、呑んで食べてで入り浸るお客さんがいつもいたんですよ。ありがたいことに」
「政子さんの思惑通りじゃないですか! これじゃ昭夫さんも頭が上がりませんね!」
「(ニッコリ)」
とにかく忙しくて働き通しだったという昭夫さんと政子さん。アルバイトを雇ったりしながらも、多忙な日々を乗り越えたという。そして東京のホテルのレストランで働いていた次男・英昭さんが、1990年代初頭、結婚を機にこの店の次なる担い手となるべく、舞い戻って来たのだった。
ここで一旦、今回の取材にご協力いただいたみなさんの年齢をご紹介しよう。初代・昭夫さん=74歳、初代の妻・政子さん=70歳、息子の二代目・英昭さん=47歳、孫の三代目・大斗さん=25歳。なお、三代目・大斗さんは、既婚かつ子持ちである。つまり昭夫さん、政子さんは70代で曾祖父母、英昭さんは40代で祖父。そう、この「冨士久食堂」の齊藤ファミリー、全員が全員、極めて早い結婚・出産を成し遂げているのだ。
「三代目の大斗さんまで結婚済で、子持ちですか。えっと、そういう家訓でもあるんでしょうか?」
「いえいえ。ただ僕は小学生のころから早く結婚したかったんですよね。もうこれは、DNAですかね(笑)」
「その遺伝子、私に組み換えしてください(真顔)。とはいえ、大斗さんは25歳と大変お若いですけど、お店を継ごうってことになったのはどうして?」
「えっと…。僕は昔から料理が大好きで、大学在学時から海鮮居酒屋でバイトしていたんです。長男っていうのもあるし、いずれはここを継げたらとは考えていたんですけど、まぁ、いろいろあり予定が早まってしまって(苦笑)」
「まぁ、人生いろいろありますよね。昭夫さんからすれば、お孫さんまでお店を継いでくれるなんて、うれしいですよね」
「本当に楽になりましたね(ニッコリ)」
「大斗が作る料理は、とにかくおいしいんですよ。チャーハンなんかは、じいちゃんが作ると白いごはんが残っていたりするけど、大斗のはちゃんとパラパラなの。こないだは、『今日の野菜炒め、前よりもシャキシャキしていておいしいね!』ってお客さんからも評判で。もちろん作ったのは、大斗なんだけども」
「え、そうなの? オレのより美味しいって? 初めて聞いた…」
「あきらかに落ち込んでるじゃないですか! でもでも、大斗さんが昭夫さんの味を受け継いだからこその、評判ですからね!(必死のフォロー)」
昭夫さんから英昭さん、そして大斗さんへと脈々と受け継がれた「冨士久食堂」の料理の数々。メニューは半世紀もの間、ほぼ変更はないというが、中でも餃子は、古くからお客さんの多くがオーダーする人気の逸品だそう。それは気になる…一刻も早く実食を(なんせ腹ペコなんで)。
まずは餃子から。
ぐふふ。
「ぎゃー! これは激うまです。皮は薄めで野菜がたっぷり。ニンニクがしっかり効いていて、食べているうちからどんどん食欲が湧いてくるノンストップ系。これはもうリバウンド不可避」
「おいしいでしょ? うちのは皮も自家製なの。あとよく出るのは、にらたまラーメンとかかな」
「政子さま〜、それもおねっしゃす〜」
いやっほ〜〜〜〜い!
「スープ、とろっとろやないかーいっ。玉子、ふっわふわやないかーいっ。しょう油ベースのスープもコクがあって最高! し、しあわせ~」
「いい食べっぷりねぇ。あとは、焼肉定食もよく出るかな~」
「うぷすっ。なぬぅ、や・き・に・く、ですと!?」
3皿目、やってきました〜
カロリー吸収!
「甘辛いタレが肉に絡んでちょーうんめぇ。米がすすむ、すすむぅ~!!! いやぁ今日は満足満足♪」
食べてる間、ずっとこの顔。
3皿食べてもまだまだ行けそうな船橋。ほんま、お前よう食うな……。しかし、まだこれでは終わらなかった。
船橋、うしろー、うしろー!
シメのかつ丼。
「カツ丼です。これもよく出るのよ♪♪」
「(パクっ)うめぇえええええ! お腹が10分目だけど、ちょーおいしいっ。タレの甘みとジューシーな肉、そしてふっくらとしたごはん。口の中で素晴らしい三重奏を奏でているぅ~」
もの静かで笑顔の素敵な昭夫さんと、元気で快活な政子さん。そんな2人が始めたお店を受け継ぐ英昭さんと大斗さん。たった2人で始めたお店が地元の人に愛される名店となり、息子そして孫へと継承されていく。店を始めてから半世紀あまり。今でもお店に立つ心境はいかに?
「自分たちで始めたことだし、お店に出るのをイヤだなんて思ったことは一度もないですね。なんせ店を建てる時にできた借金もあったし、返さないといけなかったしね(苦笑)。死ぬほど働いたわりにお金はそんなに残ってないけど、子供にも孫にも恵まれた。私たちの大切な財産になっていますし、それだけでうんと幸せです」
「私も同じ気持ちです。息子ましてや孫までも店を継いでくれるなんて思いもしなかったので」
孫まで引き継がれた冨士久食堂の味。そんな中、三代目・大斗さんは、昭夫さんの味に新しいエッセンスを加えた新作メニューを、目下考案中なのだとか。味と看板を継承しつつ、自身でもチャレンジを忘れない。素晴らしいスタンスではないか。
跡継ぎがおらず、後継者問題に直面しているお店も多い昨今。父から息子、そして孫へと親子三代に渡ってバトンを大事に渡しあう冨士久食堂は、間違いなく高崎絶メシ界の希望の星である。
No.30
冨士久食堂
027-374-0343
11:00~15:00
17:00~20:30頃
水
群馬県高崎市中里見町121-2
安中駅から3,783m
絶メシ店をご利用の皆さまへ
絶メシ店によっては、日によって営業時間が前後したり、定休日以外もお休みしたりすることもございます。
そんな時でも温かく見守っていただき、また別の機会に足をお運びいただけますと幸いです。