極上エビフライに極厚とんかつ
超人気店だけど継ぐ人がいない!
経営者夫妻が本気で後継者募集
「うちの店、このままではなくなってしまうかもなんです…」————そんなお便りをくれたのは、高崎環状線沿いに佇む「とんかつ うかい亭 一花」。聞くところによると地元民から愛されるとんかつの名店だという。これ以上、高崎のおいしいお店を失いたくないという一心でお店に向かう絶メシ調査隊。ところが辿り着いてみると、気品あふれる店内にお客さんがパンパン。おやおや? これはいつものパターンと違うぞ…。ことの真相を確かめるべく、いざ突撃じゃ!
潤ってるけど“絶メシ”
……ってなんで?
「肉全般に揚げ物、要は茶色系の食べ物が大好きなライター船橋です。今回も茶色いグルメを求めて『とんかつ うかい亭 一花』さんにやってきました! …って、来て早々に文句言うみたいでアレなんですが、この店、なんかじぇんじぇん絶ってないんですよね。店構えとか超立派だし」
「ちょっと待って。思ってたんと違う…。しかも店内をのぞいてみると、たくさんのお客さんでにぎわってるし!」
動揺を隠せないまま、店内をキョロキョロしていると、「いらっしゃ~い~⤴⤴」とはずむような高い声で出迎えてくれる人がいる。
安藤豊子さん。ここ「とんかつ うかい亭 一花」の店主の奥さまである。
「今日は遠いところ、わざわざありがとうございますね~。高崎駅からいらしたの? あそこの近くのマンションに薬剤師をしている娘が住んでいてね。もうひとりの娘は医師なのよ。その子も駅の近くに家を建てて住んでいるの。そう、娘ふたりとも医療従事者なのよね」
「は、はい……。『娘二人とも医療従事者』ってワード、絶メシ調査してはじめて聞きましたよ」
お店に入って3分ほどしか経ってないが、美味しそうな揚げ物の香り以外は正直、「成功」と「金」の匂いしかしない。事前の調査では『お店の存続が危ぶまれている』と聞いてたのに、まったくそんな感じはない。これは痛恨の事前調査ミスの予感……。
「お店がなくなりそうってお話を聞いてやってきたんですけど、超安定経営されてません?」
「今はね。でも先は見えないの。だってうちの娘たち、ふたりとも医療従事者じゃない? だから後継者がいないのよ…」
そう、ここ「とんかつ うかい亭 一花」の悩みはただひとつ。お店の味を受け継ぐ後継者がいないということなのだ。
娘さんが飲食とは別のお仕事をされており、そっちの線はなし。かといって店を継がせるようなお弟子さんもおらず。一代で超人気店を作り上げた夫妻であったが、「引退」の二文字を意識せざるを得ない年齢に突入した今、後継者問題に直面しているのだという。
というわけで、腰を据えて話を聞こうではないか。豊子さんに加えて、旦那さんで店主の安藤和夫さんにもご登場願おう。
東京の名店を完コピ(?)して
高崎と前橋で大成功
洋食のコックだった和夫さんがとんかつ屋として独立したのは1981年、当時34歳の頃。ふたりはすでに結婚もし、マイホームも構えていたという。
「この業界では“コック45”と言って、ずば抜けた才能がない限りコックが雇ってもらえるのは45歳までと言われているんです。だからそれまでには独立しようとは思っていたんですけど、かみさんが先に家を建てちゃったんですよね。業界的には『自分の店よりも家かよ』という見られ方をするので(※カッコ悪いことらしいです)、仕方なく10年以上も予定を前倒しすることになったんですよ」
「ある意味、奥さんに背中を押されたというか、お尻を叩かれて…という形ですね」
「そうね。私はね、結婚する前はエレクトーンの奏者だったの。クラブで弾いたりね。だから、この人と結婚したらいつかステキなレストランを経営してもらって、そこで演奏しようかなって思っていたの。で、いざ店をやるって段階になって、何をするかと思ったらとんかつ屋だって言うじゃない。え、なんでとんかつ屋? あなた洋食のコックでしょ? 私がエレクトーンを弾けるような店は? なんでなんで? って思いましたよ」
「とんかつ屋でエレクトーン弾くわけにもいかないですしね」
「うん、それに最初に自分で持った店は15坪の小さなところでしたから。カウンターと小さなテーブル席があるザ・とんかつ屋みたいな空間。僕はいい店ができたなと思ってたんですけど、どうもかみさんは気に入らなかったみたいでね…」
「気に入らないわよ! あの頃は、どうにか逃げ出せないかって毎日考えてました(笑)」
「はは~ん、いろいろと納得です。豊子さんはきらびやかなところがお好きなんですね?」
「その通り。最初の店を初めて7年くらい経ったころ、高崎のすずらんデパートのレストラン街に支店を出さないかという話をいただいてね。私はすぐに断ったんですけど、かみさんに話したら『私がやる!』と言い出してね」
「そうそう。ただ当初は高崎でやるという話だったんですけど、いろいろあって前橋のすずらんデパートに出店するという話になって。高崎でやるならいいんだけど前橋って…ちょっとねぇ(苦笑)」
「前橋だとテンションあがらんぞと」
「そうね(笑)。やっぱり高崎は地元だし、居心地がいいのよね」
「なるほど。じゃ最初はノリ気じゃなかったわけですね?」
「いやいや、当初からノリノリでしたよ。たとえ前橋でも、きらびやかなデパートでできるんだもの」
「うふふ。まぁ、すずらんに出店するにあたって、いろんな百貨店を巡って研究したんです。なかでも東京・新宿の伊勢丹にあった某名店(※現在は閉店)は、今ウチで出している人気メニュー『変わりカツ』のネタ元になっているし、付け合せの小皿とか、器の色なんかもマネさせていただきましたね」
「『マネ』って言ってる段階で、研究というより、もうまんまやっちまった感じはしますが」
「まぁ、東京の一流店のやり方というか、そこに敬意を払いつつも吸収できるものはしていこうということであって、なにかを盗んだわけではありませんからね。ただ、オープンしてから、その某名店の方が見えて、『よくもこんな田舎でここまでマネてくれましたね』と皮肉を言われましたが(苦笑)」
「バ、バレてた…」
あまりにもひょうひょうと、そして楽し気に語る“名店コピー話”。と、ここまで聞いて、ライター船橋の野生の勘がキラリと光った。もしや、この店名も、あの超有名店からのオマージュではないのかと。
「まさかとは思いますが“うかい亭”って、あの超高級店から……」
「(コクリ)」
「ほげえええええええええええええ」
「まぁ、うちの店名は『とんかつ』が入ってますからね! 全く別物です。間違える人もいませんし」
こうして東京の名店たちをモデルに、高崎と前橋で大成功を収めた「とんかつ うかい亭 一花」。バブル時代は儲かって儲かって仕方なかったというが、バブル崩壊後は前橋店を畳み、和夫さんの15坪の店を継続しながら、約20年前に現店舗をオープン。そして15年ほど前にお店を一本化した。
以降、ランチもディナーも地元客や遠方のお客さんがひっきりなし。しかし、これほどの人気店に昇りつめたのに後継者がいないのだ。豊子さんはそっとつぶやく。「とにかく、お父さんの味を残したい」と。
海なし県で出会った
奇跡の極上エビフライ
キッチンに入った和夫さんの姿は、インタビュー時の柔和な表情が消えて男の中の男というか、職人といった具合だ。静かにそして丁寧にカツを仕上げていくのだ。
人気店ということにおごるばかりか、「当たり前のことをしているだけなんですよ」という謙虚な和夫さん。選び抜かれた上質な豚肉に粉、卵、パン粉を付けて揚げ作業へ移る。
豊子さんもキッチンで盛り付けを担当する。と思ったら、カメラに向かって決めてくれている…!
「一番高いメニューを食べてほしい」という豊子さんの逆オーダーとともにやって来たのが、大海老2尾にヒレカツがふたつ乗ったメニュー、「うかい」(2400円)だ。
驚くべきは、エビフライの大きさ。
これはデカイ…。なおライター船橋の顔が小さいのではない。エビフライがデカイのだ。
それでは実食タイム。
「エビフライ、うめえぇぇぇ!! なにこれ! 外はサックサクで中はふっくら。高崎って海ないよね? なんでこんな美味しいエビフライが食べられるの! これ人生最高エビフライかも!」
続いてはヒレカツ。大海老がインパクトすごすぎて、勝手に脇役扱いしてたけど、この厚み!
「うっひょー、ヒレカツの揚げ具合も抜群じゃないですか! 甘辛いソースも絶妙で米が止まらない。どうしよう、糖質制限しているのに米を止められない…!」
続いてこやつも食すべし!
東京の某名店からインスピレーションを受けて誕生したという「変わりかつ盛り込み」。
では糖質制限中のダイエッター船橋、続いてこちらもいっちゃいます!
パクっ。
「いやぁ、うまいっすね。さすがにこれだけ揚げ物を一気に食べるとキツいと思ったけど、油っぽくなくてさっぱり食べられちゃう。なんでですか?」
「なんでって言われても、特別なことなんかひとつもしていないんですよね。豚肉は質のいいものを選んでいるけど、銘柄豚を使っているわけでもないし。強いて言うなら、揚げ油はラードや植物油などをオリジナルブレンドしていることくらいかな」
「うちは普通のお店だと思います。でもお父さん、手抜きが大嫌いでソースもドレッシングもなんでも手作りしちゃうの。お店の床だってひとりで掃除しちゃうし、外の植木もいじっちゃう。もう年なんだからやめてほしいと思ってるのに」
「料理以外のところにもこだわりが強いんですね。今日はごちそうさまでした!ホントに、この街にずっと残っていてほしい味、お店だと思います」
「そう言ってもらえると本当にうれしいですよ。僕自身、できたらいつまでも続けたいけど、そういうわけにもいかない。明日、ぽっくりいくかもしれない」
「だから、逆に相談したいの。誰か継いでくれないかしら?」
「いわゆる公募ですか。正味な話、こんな条件のいい店、継ぎたい人いくらでもいると思いますよ。おふたりが後継者に求める条件ってありますか?」
「夫婦で頑張ってやっていきたいという人が現れたら最高ですね」
例えば、高崎に家族で移住して「とんかつ うかい亭 一花」の後継者候補に名乗りでる。そんなことも可能なのだ。すでにビジネスモデルが確立しているから、やる気のある人はぜひご応募を! もちろん気軽に継いで稼げる…なんて思っていたら大間違い。おふたりはたゆまぬ努力で、このお店を育て上げてきたのだ。そうした思いを受け止めて、さらにこの味を継承しようという救世主の出現を、絶メシ調査隊は切に願うばかりだ。
後継者求む!
1981年に小さなとんかつ屋からスタートして、夫婦ふたりでお店を大きくしてきました。とても愛着のある店です。まだ、すぐにというわけではありませんが、将来的にこの店を継いでくれる方を探しています。真面目な方、やる気のある方は是非ご応募ください。