追悼 「あづまや」店主・東努さん
「あと10年は続ける」
実姉が語る店主の思いと
お客様への感謝の言葉
2018年1月末、高崎の人気うどん店「あづまや」が突然、閉店を発表しました。
閉店理由は店主・東努さんの突然の不幸。
「それにしても“絶メシ”ってのは縁起が悪いよね。あなたたちには悪いけど、まだまだ店は絶滅しないから」と笑いながら調査隊に語っていた東さん。その言葉が、あの口調が、我々取材スタッフの耳の奥に残り続けています。
今回絶メシ調査隊は、東さんのご冥福をお祈りしつつ、東さんの実姉で創業時から同店で従業員として働いてきた島田明美さんにお話を伺いました。
「あと10年は店を続けるよ」——高崎の人気うどん店「あづまや」の東努さん(享年65歳)は、亡くなる2日前に従業員の島田明美さん(67歳)に笑顔でそう語っていたという。
1月25日の朝。実姉であり、東さんと21年以上に渡りお店を切り盛りしてきた島田さんは、いつもどおり店にやってきた。
カウンター上には色あせた手書きのメニュー。天井から吊り下がる裸電球。動かなくなった麻雀テーブル筐体。前日に東さんが仕込んだうどんの麺。店は、いつものあづまやだった。
たったひとつのことを除いては。
「あの朝、待てど暮らせど、弟はやって来ませんでした。連絡をしても、電話に出ない。まぁ、携帯電話を枕元に置くタイプではないのですけど。お店の開店時間も迫ってきていたので、私の夫にお願いして、ひとり暮らす彼の自宅へ向かってもらいました。そして夫が部屋に入ると、弟は布団の上で亡くなっていたのです……」(島田さん)
それはあまりに突然のことであった。島田さんは「いまだに本当のことなのか、実感がわかない」と言葉を震わせる。持病がないわけではなかったが、突然死を予期させる明らかな前兆はなかったという。
「ただただ驚きました。もしかしたら本人が一番驚いているのかもしれない。絶メシの記事が出たときもすごく喜んでいましたし、まだまだ店を続ける気でもいました。それこそ亡くなる3日前に、私に『あと10年は店をやるよ』なんて言っていたくらいですから」(島田さん)
島田さんによると、東さんは亡くなる前日にひとり外食をし、翌日の営業のために、店で仕込みをしていたという。折しも亡くなる前々日、関東地方は南岸低気圧に伴い記録的な大雪に見舞われた。そんな大雪が残る足元の悪い中でも、東さんは麺打ちをしていたのだ。20年以上続けてきた彼だけのルーティーン。すべては明日やってくるお客さんのために。
「自分を追い込む性格だったので、どこかで無理をしていたのかもしれない。弟らしいと言えば弟らしいのだけど……」(島田さん)
あづまやは貸店舗だったこともあり、東さんの葬儀が終わると島田さんら従業員は、すぐに店を片付けることにしたという。従業員といっても、店を切り盛りしていたのは東さんの他、島田さんともうひとりの姉の三人のみ。かつては親族以外のパートさんもいたが、最終的にあづまやは “家族の店”となっていた。
あれから2か月以上が経過し、店があった建物の前を通ることもあるが、その度に島田さんは胸が締め付けられるという。そこにはもう店がないのだ。あったはずの、まだあるはずの店がないのだ。
最後に島田さんは「伝えたいことがあります」と、丁寧な口調でゆっくり語り始めた。
「あの店には、長年通い続けていただいたお客様がいます。今回は突然のことで、なんの断りもなくお店を閉めることになったことがずっと気がかりでした。ずっとお店を愛してくれた皆さま、ありがとうございました。この2か月余り、ずっと皆さまには感謝を伝えたかった。ようやく今になって言えます。きっと弟も天国で、同じ気持ちでいると思います。20年以上、あづまやを愛してくれて、本当に本当にありがとう」(島田さん)