老舗精肉店とヒムロックの
知られざる関係
寺西精肉店

No.35
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氷室京介さん実家説も
老舗精肉店とヒムロックの
知られざる関係

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ド派手な赤文字、かつマッチョなフォントで「肉」と書かれた看板が目を引く『寺西精肉店』。実はここ、肉屋さんとしてイケてるだけでなく、80年代を代表する伝説のバンド『BOØWY』のヴォーカルで、ロックのカリスマ・氷室京介さんの実家とささやかれる“聖地”でもあるのだ。そして噂レベルでありながら、観光パンフレットにもその旨が記載され、ヒムロックファンが訪れているとか。真相の解明、そしてあのカリスマが食べたであろう名物グルメを求めて、いざ出撃!

(取材/絶メシ調査隊 ライター名/井上こん)

「氷室実家説」はガチなのか?
単刀直入に聞いてみた

写真ライター井上

「普段は寝ても覚めてもうどんのことばっかり考えているあまり、ある方面で“うどん女”と呼ばれている井上です。さらに、発作的にひとり焼肉祭りをかます肉好きでもありまして。今回は美味しいお肉を求めて 『寺西精肉店』さんへやってきたわけですが……看板のサビ具合といい、ポスターの剥がした跡といい、肉汁のごとく溢れ出る渋みに早くもウズウズが止まりません!」

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まず目に入るのが、ビッグサイズの「肉」の字。有無を言わさない存在感でフォントフェチおよび看板フェチの心をくすぐる

さてさてこちらのお店。なんと高崎が、いや日本が誇るロック界のカリスマの実家という噂があるそう。実家ってことはここに住んでいたってことだし、なんならこれからいただくグルメを食べて育ったってことだ……。

そう考えただけでやたら興奮してきた井上。鼻息荒く店のドアを叩いた。

すると、
カリスマの父(と思われる人物)、5秒で降臨!

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ニコニコと迎え入れてくれた店主の勝さん。この御仁がカリスマの父か……

写真ライター井上

「こ、こんにちは…。東京からやってきた井上と言います。ほ、本日は取材させていただきたく(←やたら固い)」

写真勝さん

「はいはい、よろしくお願いします」

写真ライター井上

「えっとですね、まずお伺いしたかったんですが、こちら氷室京介さんのご実家と言われているそうですが……」

写真勝さん

「あぁ、それ、間違ってます(←食い気味に)」

写真ライター井上

「えっ」

写真勝さん

「たまに遠くからファンの方が来られるんですけどね。うち、違います」

写真ライター井上

「えっ」

写真勝さん

「間違える人多いんだよね」

写真ライター井上

「でも、氷室さんの本名って『寺西』さんでしたよ…ね?」

写真勝さん

「そうね。氷室京介さんの本名は修、寺西修。でも私の名前は杉本勝。氷室さんのところは寺西ですけど、うちは杉本。で、氷室京介さんの実家も『寺西精肉店』というのは間違いないですけど、それは倉賀野の店。うちは系列店で、倉賀野の店は何年か前になくなっています」

写真ライター井上

「そうだったんですね…。でも、無関係ではないですよね? 系列店ですもんね? ね?」

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手ぶらでは帰れないのでしつこく食い下がる

井上の記者魂が届いたのか、この後諸々の事情について勝さんが詳しくお話してくれた。

というわけで、お店の歴史紹介とともに、どうしてこちらの店にヒムロック実家説がわいてしまったのかを解説しよう!

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ヒムロック実家説の真相はこのあとすぐ!

店主の勝さんは中学卒業後、ここからすぐの中紺屋町にあった精肉店で住み込み修業をしていた。店の名は「寺西精肉店」。昭和25年創業の老舗で、この辺りでは「お肉といえば寺西」と言われるほど有名な存在だったという。

精肉店での修業は過酷であった。最初の5年はほとんど肉に触らせてもらえず、屠殺場から80kgの豚5頭分を運んで、それをまたあちこちの食堂に配達する毎日。当時は今のように“教えてもらえる時代”ではなく、仕事の合間にオヤジさんや先輩の仕事を観察し、技を盗んだ。

そんな厳しい修業時代、約15年にわたり同じ釜の飯を食っていたのが氷室さんのお父上だった。その後、氷室パパは一足早く独立して倉賀野支店を、勝さんは17年の修業を経て32歳で妻・美津枝さんとともに末広町支店をオープンさせることとなる。

写真勝さん

「私が独立する2〜3年前に倉賀野支店を出したのが、修くん(=氷室京介さん。以下、修くん)のお父さん。彼は本店のオヤジさんの弟で、私にとっては15年ともに修業した兄弟子みたいな存在でした。その人が独立したもんだから、よし自分もがんばるぞと」

写真ライター井上

「氷室パパに刺激されたわけですね」

写真勝さん

「そう。ただ、向こうも『寺西』でウチも『寺西』なもんだから、ファンの方も勘違いしちゃいますよね。倉賀野支店はもう閉店したんだけど、今も『氷室さんのお父さんですよね?』って言われるし、東京からわざわざ来てハムカツとコロッケを大量買いしていく人も……(苦笑)」

写真ライター井上

「とはいえ15年にも及ぶ修業時代、さらに姉妹店として氷室パパと親しかったわけですよね? もしやヒムロックの子供時代もご存じなのでは」

写真勝さん

「そうですね……修くんはおしゃべりではないんだけど、やんちゃで活発な子だったように思います。だから、ああやって有名になったのにはびっくり。正直、我々の世代にはああいう音楽は分からなくて(笑)。ちなみに、小学校5~6年くらいまでたまに遊びに来てはなんかつまんでましたよ

写真ライター井上

「ちょ! 重大証言ですよ! ヒムロック少年はこちらの『なんか』をつまんでたんですね! 私も同じものを食べてみたいです!」

やはり、こちらの店はカリスマと無関係ではなかった! 氷室さんの血肉となり、ロック魂を育てた(と言っても過言ではない)“ヒムロック・ミート”とは一体、どんなものか。もう食べてみるしかない。

これはロックだわ!
ヒムロックミートが激ウマ

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「ちょっと待ってね、何個か用意するから」となにかを切ってくれる勝さん

「ハイッ」と手渡されたのは、本店仕込みの自家製チャーシュー。

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これがヒムロックミートか……思わず手が震える

100gあたり300円……って、食べる前に言っちゃうけど、

お父さん!
安すぎぃぃぃぃ!

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ま、問題は味ですけどね!

はむっ

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即、かぶりつく

写真ライター井上

「うわ、こんなチャーシュー初めて! 味が濃ゆいし、なんでこんなにしっとりしてるんですか?」

写真勝さん

「6割くらい焼いて、その後せいろでふかす(=蒸す)からかな。そんなやり方しているのはウチくらいだと思います」

ヒムロックミートはこんなものでは終わらない。
続いてはメンチカツだ。

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作り置きはしない。注文が入る度に肉を切り、調理をする。なお地元の銘柄豚・下仁田ポークを扱う。柔らかい肉質が特徴

このタイミングで“揚げ役”である妻・美津枝さんが登場! 

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脂身や筋から作る自家製ラードで一枚一枚丁寧に揚げる

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こんがりと揚がったメンチカツ。氷室少年が思わずつまみたくなる(?)のもうなずける匂いとシズル感

写真ライター井上

「(もぐもぐ)ただ一言、大正義メンチカツ!(もぐもぐ……)」

あまりのウマさのためか意味不明なことをつぶやいて食べ続けるライター井上。

ただその言葉に偽りはない。他のスタッフも思わず貪ったのだが、これがもうジャスティスな味なのだ。しかもこれを氷室少年がつまんでいたかもしれないと思うと、感動もひとしお。

続いて登場したのは、ころんとしたフォルムがかわいいコロッケ。オランダとの友好記念に誕生した高崎名物「オランダコロッケ」(1個120円)だ。

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キレイな形と色。見た目は王道そのもののコロッケだ

写真勝さん

「もともとオランダの家庭料理で、コロッケの中にチーズが入ってるんです。多いときは1日200個売れたこともあるよ。まぁ、ウチで出し始めたのは15年前くらい前だから修くんは食べたことないけどね」

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精肉店のアッツアツのコロッケがまずいわけなかろう

オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァァ!

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オランダコロッケだけにオラオラ食いする井上

写真ライター井上

「うんーーーま! パン粉が粗くて最高にザクザクだし、じゃがいものつぶし加減も絶妙だし、ほんでチーズは超トロットロ。は~めひゃめひゃおいひいです!」

この後も揚げ物ざんまい。どんどんどんどん揚げていただいた。
コロッケと揚げシュウマイの盛り。

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ソースをつけてもつけなくてもほっぺが落ちちゃう

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噛めばじゅわっと肉汁が。精肉店のシューマイだもの、そりゃ肉々しいよね

ふぅ〜。

昇天。

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ごふぃふぉうはまでひた〜(脱力)

「どちらかが身体を壊すまでやりたいね」

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笑顔がすてきなおふたり。幸せな時間をありがとうございました!

写真ライター井上

「こうやって顔の見えるお商売ってやっぱりいいですよね。安くて、旨くて、何よりホッとする。スーパーの惣菜じゃこうはいきませんよ。おふたりとも大変お元気そうに見えますが、これからのこと教えてもらえますか?」

写真美津枝さん

「実はね、次男が後を継ぐって予定でね。食肉の専門学校を出て、千葉の百貨店で店長まで任されてたんですよ」

写真ライター井上

「おお、それは素晴らしい!」

写真美津枝さん

「でもね……お父さんも歳だからそろそろこっちに帰ろうかってときに……交通事故に遭って。まだ32歳でした。その子が亡くなって今年で17年。17年待つのは長いけど、17年経つのは早いもんですね」

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そう言って目をうるませる美津枝さん

写真ライター井上

「そんなことがあったのですね……」

写真美津枝さん

「だから、お父さんと私どちらかが身体を壊したら閉めるつもりでいます」

写真ライター井上

「身体を壊さなければ…生涯現役で?」

写真勝さん

「そうだね。相棒がいないとできない商売だし、身体が続く限りふたりでもうちょっとやりたいね」

15歳で業界に入って65年、がむしゃらに働き、家族を支えてきた勝さん。そしてそれを献身的に支えてきた美津枝さん。氷室京介さんの実家と間違われることによるご苦労もあるかと思いきや、もはやそれさえも楽しんでいる域に到達されている。「うっはっは」とよく笑うお父さんとちゃきちゃきと働くお母さんの姿をいつまでも見ていたい。お体だけはどうぞお大事に!

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取材・文/井上こん
撮影/今井裕治

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