創業100年の和菓子店酢屋製菓舗

No.48
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創業100年の和菓子店
“遊び人”の翁がつくる
和菓子と赤飯がやたらうまい

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名物の白あんを使ったみそまんじゅうや、粒あんがぎっしり入った中山道最中は根強い人気。明治後期に酢を専門に扱う酢屋として創業され、大正に入ってから菓子店に業態を変えて商いを続ける「酢屋製菓舗」は、新町の生き字引ともいえる名店だ。今回話を伺った3代目の石岡孝夫さんは、80歳を超えた今でもゴルフや麻雀を全力で楽しむ粋な店主。その遊び心から生まれたヒット商品には、意外なエピソードも隠されていた!

(取材/絶メシ調査隊 ライター名/高柳淳)

酢の専門店から和菓子屋へ
名調子の店主が語る店の歴史

写真ライター高柳

「ご無沙汰しております。1年以上ぶりに絶メシ調査隊に復帰したライター高柳です。1年間なにをやってたのかって? いや、それはいろいろありまして……。さてさて、久しぶりの高崎の絶メシ取材。本日は絶品和菓子がたらふく食えると聞いて、駆けつけました!」

1年間なにをやっていたのか語りたがらない男・高柳がやってきたのは、新町駅から国道17号を超えて、烏川方向へ10分ほど歩いた「酢屋製菓舗」。創業から100年以上の歴史のある和菓子屋さんだという。

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ぱっと見では、お酢屋さんなのか、お菓子屋さんのか、混乱してしまうが、れっきとしたお菓子屋だ

我々、絶メシ調査隊を迎え入れてくれたのは、3代目店主の石岡孝夫さん。現在は奥様と2人で店を切り盛りしている。自身を「社交的で明るい性格」とおっしゃるとおり、めちゃくちゃ楽しいお話を聞かせてくれた。

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こちらが石岡孝夫さん。若い頃には“高崎イチの遊び人”の異名も。口を開けば(書けないレベルの)おもしろエピソード満載で、「裏・絶メシリスト」があれば、それを待ったなしで紹介したいほど

写真ライター高柳

「いきなりですが、店名に酢屋と製菓の文字が入っているんですが、間違いなく和菓子屋さんでよろしいんですよね?」

写真石岡さん

「そうそう。今から100年以上前の明治後期に初代の喜三郎さんが酢の専門店を立ち上げたのが始まり。でもね、どうやら店よりもこっちの方(←小指を立てながら)が忙しかった人らしくて、経営が苦しくなっちゃったんだよ(笑)。それで店も売りに出さなくちゃいけなくなったんだけど、喜三郎さんの長男で2代目となる喜兵衛さんが買い戻して、大正に入ってから酢屋の店名を残して菓子店に切り替えたんさ」

写真ライター高柳

「なるほど。どうでもいいですけど、久しぶりに小指立てながら『こっちがね』という人に会いました」

写真石岡さん

「ガハハハ。まぁ、2代目の喜兵衛さんは喜兵衛さんで、粋なオヤジだったからね。芸者にはモテるし、そこらじゅうで飲み歩くし。なかなかの外交派だったよ。喜三郎さんの三女の琴さんとコンビを組んで、近隣のありとあらゆる町へ荷車に菓子を積んで売り歩いていたんだから。その当時、お客さんになってくれた人たちとのつながりで、今もこうして商売させてもらってるんさ」

なんでも2代目の喜兵衛さんは経営者としても凄腕だったそうで、職人を雇って、まんじゅうや素甘、らくがんなどを自社で作ることも成功させたそうだ。そこに喜兵衛さんと琴さんの天性の売り込みの上手さが相重なって、和菓子店は大繁盛。町内で冠婚葬祭があると大量の注文が入ったそうだ。

そんな話を伺っていると、「まぁ、これでも食べながらお話しようよ」と出してくれたのが名物の中山道最中(150円)。

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菓子名は中山道で新町が上州・上野国(群馬県)に入って最初の宿場だったことに由来

パリッとした薄皮の最中を割ってみると、中には上品な小豆あんがぎっしり詰まっている。

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詰め込みすぎぃぃぃぃぃ!

写真ライター高柳

「おお、これは……さくっと軽い口当たりの最中と、しっかりと強い味のあんが最高のハーモニーを奏でてくれますね(決め顔で)。会話もますます弾みそうです」

楽しい会話には、美味しいお菓子。もうこれは全世界共通の「定説」であろう。ということで、酢屋製菓舗の歴史の話に戻ろう。

「別の老舗店を継ぎたかった」
知られざる真実と甘くない現実

写真石岡さん

「実はね、オレは2代目の喜兵衛さんとは血縁関係はなくて、養子として店に迎え入れられたんだよ」

写真ライター高柳

「お、そうなんですか(←モグモグしながら)」

写真石岡さん

「オレは多野郡吉井町の生まれでね。中学生のときには現在の富岡高校へ進学したいと思っていたんだけど、なんせ頭の方は軽かったもんだから(笑)。学校の先生には『お前は調子がいいんだから商人が向いている。しかも元気がいいから魚屋になれ!』なんて言われてたんだよ。でも、魚は大っ嫌いだったから、どうしようかと悩んでいるときに、高崎にあった『梅玉堂』っていう老舗の和菓子屋を世話してくれるって人が現れてね。それで15歳のときに梅玉堂へ修行に出たんだよ」

写真ライター高柳

「魚屋さんにはなりたくなかったけど、お菓子屋さんだったらOKだったんですね(←まだモグモグしながら)」

写真石岡さん

「そうだね。手先も器用だったし和菓子屋なら向いてるかもな、なんて思ってね」

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その手先の器用さは今も健在。毎朝、一つひとつ丹精込めて丁寧に和菓子を作り上げる

写真ライター高柳

「梅玉堂さんでは、どれくらい働かれていたんですか?」

写真石岡さん

「15、6年かねえ」

写真ライター高柳

「結構長くいらっしゃったんですね」

写真石岡さん

「ここだけの話、本当は梅玉堂を継ぎたかったんだよ! 当時の社長は婿養子として店に入った人で、気立てのいいお嬢さんもいたしね。社長はマントを羽織って、人力車に芸者をつけて店に帰ってくるくらい羽振りがよかったし、職人も10人くらいいたかな。高崎で一番売れてた店だった。だから、私もそのお嬢さんと結婚して、次期社長になってやろうと思ってたんだけどなぁ(遠い目で)」

写真ライター高柳

「その夢は叶わなかったわけですね」

写真石岡さん

「そう。継ぐ予定のなかった若旦那(社長の長男)が店に帰って来てね。東北大学を卒業した秀才だよ? 菓子屋なんて継ぐと誰も思わなかったから、帰ってきた時は『あちゃ〜』と思ったね」

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悔しそうに若かりし頃の“野望”を振り返る石岡さん

写真ライター高柳

「夢は破れましたと。それでどうしようと考えたんですか?」

写真石岡さん

「もう真っ白だよね。自分で店を出すなんてのは考えられなかったし。いただいていたお金は少ないし、その少ない金で遊びまくってたし、当然貯金もあったわけではないから。でも、ちょうどその頃に、運命的な出会いがあったんだよ。たまたま招待されたバス旅行で、酢屋製菓舗の2代目の喜兵衛さんと席が隣になってね。話が盛り上がって、『新町で店をやってんだけど、来てみねえか』って誘われたんさ。つまり店を将来的にお前に任せるから、梅玉堂を辞めてうちに来いと」

写真ライター高柳

「ヘッドハンティングってやつですね。まさに渡りに船というか……すぐに酢屋製菓舗へ移籍ですか?」

写真石岡さん

「いや、すぐには行かなかったね。なんせ、遊びたい盛りだったから。麻雀は好きだし、競馬は好きだし、こっち(←小指を立てながら)も好きだし(笑)。高崎じゃ名の売れた男だったんだよ、あははは(笑)」

写真ライター高柳

「あははは……それで結局、いつ酢屋製菓舗に入るんですか?」

写真石岡さん

「7、8年後かな」

写真ライター高柳

「遊びすぎでしょ!」

写真石岡さん

「ちょっとな(笑)。だから、店に入るとすぐに喜兵衛さんが『そんな遊び人じゃ、早いとこ嫁を見つけないと』って言い出して、見合いをセッティングしまくるんさね(笑)。で、最後に出会ったのが、今の母ちゃんなんだいね」

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こちらがその奥様の邦子さん。笑顔がとってもチャーミング!

そんな奥様が続いて出してくれたのが、出来立てホヤホヤのきみしぐれ(130円)。

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蒸しあがったときにできるひびを時雨に見立てた和菓子

ほろほろとした口どけが優しく、とっても濃厚。上品な味わいがあり、いかにも和菓子らしい趣だ。石岡さんのおもしろ話を彩る、甘くてかわいらしいお菓子。実にいい。ほんのりとした幸せなひとときに、ライター高柳も思わず取材を忘れて、ただただ会話を楽しむように。

期待していなかったけど
なぜか赤飯がウマい件

紆余曲折を経て、酢屋製菓舗の3代目となった石岡さん。高度経済成長の追い風もあり、しばらくは順風満帆の商い生活が送れたそうだ。

写真石岡さん

「ここに来てすぐお店を新しくするために4〜500万円の借金したんだけど、5年くらいで返しちゃったね。だって、すごい売れるから。このあたりじゃ、菓子屋さんなんて他になかったしね」

写真ライター高柳

「何がそんなに売れたんですか?」

写真石岡さん

「夏場にはかき氷だけで1日1万円くらい売れたんだよ! 1杯30円か40円のかき氷が。町中へ出前してたんだけど、届ける頃には水になってるんだいね(笑)。 当時はそれでも『いいよ!』ってみんな言うんだから。いや〜儲かりまくったよね(笑)。それから食堂も開いたんさ。上武高校の子たちがたくさん来てね。ラーメンとか焼きそばを食べさせていたんだけど、面白いくらい売れた。そういう時代。街も元気だったよ。カネボウや自衛隊で何百人って働いていたから」

写真ライター高柳

「あと、このお店といえば『元祖 みそまんじゅう』が大人気だそうで。これも売れたんですよね?」

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1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックの新町名物として石岡さんが考案した元祖みそまんじゅう(1つ120円)

写真石岡さん

「売れたねぇ。これの誕生エピソードも面白くてね。ある日、(隣町の)藤岡の老舗和菓子で職人をやっていた爺さんがうちに来て、『美味しいみそまんじゅうを作っていたんだけど、全然売れなかった』という話をしてくれたんさ。ピピっときたんで、爺さんにどうやって作ってたか聞いたんさ。爺さんは黒あんを使っていたけど、やっぱりそれじゃ“重い”んだよ。だから、オレは中身を白あんにして作ってみたんさ。そしたらもうバカ売れ。当時はハラダのラスクよりも売れてたね

生地に味噌が練り込んであるので風味があり、ほどよくしょっぱく、白あんの甘さが引き立つ逸品。

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ふっくら、しっとりとした食感は食べ出したらとまらないレベル

お菓子はなにを食ってもうまいが、何より驚いたのが赤飯のレベルの高さ。取材冒頭から、「うちは赤飯がウマいんだよ!」と和菓子屋に取材にきているにもかかわらず、やたらと石岡さんは赤飯を推してくるので、適当にかわしていたのだが、一口食べてみるとこれがめちゃくちゃウマいのである。

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「ごま塩かけるね」とお皿に盛られた赤飯の上から、適当にかけられるごま塩。テーブルに散っているのは桜吹雪か、粉雪か(※ごま塩です)

写真ライター高柳

「激うめぇ。冷めてて、ちょっとかたまってるけど、すっごい美味しいですよ!! なんだこれ!」

写真石岡さん

「そうでしょう、そうでしょう。うちの赤飯はすごく人気があるんですよ。まとめ買いしていくお客さんもいるくらい」

写真ライター高柳

「最後の最後に、こんな隠し玉を出してくるとは…(ゴリ推しにつき隠してなかったけど)。さて、石岡さんは今年で83歳ですが、店の今後についてはどうお考えですか?」

写真石岡さん

「今後って、後継者のことかい? まぁ、私の代で終わりだいね。子どもたちもみんな勤めに出てるし。でも、もし継ぎたいっていう人が現れたら、店を全部あげるつもり。誰も欲しがらないと思うけどね(笑)」

写真ライター高柳

「それは血縁関係がなくてもいいんですか?」

写真石岡さん

「私も婿に来てる立場だから、そういうのは気にしないやね。ただ、オレはあと10年はやるよ! なんせ、医者に120歳まで生きるって言われているからさ」

83歳になった今でも泊まりがけでゴルフに出かけ、自宅に設置した卓で毎週のように麻雀を楽しむという超元気な石岡さん。そうしたいまだ色褪せない遊び心が自身の人生を切り拓き、美味しい和菓子作りを続ける源のように感じた。そんな石岡さんの手作り和菓子が食べられるのもあと10年? 本当に美味しいので、是非なくなる前に一度でも味わってみてもらいたい。

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取材・文/高柳淳
撮影/今井裕治

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