高崎“絶メシ街道”の最古参 まさに絶滅危惧種級の大衆食堂冨士久食堂

No.30
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高崎“絶メシ街道”の最古参
厨房には祖父・父・孫が揃い踏み
まさに絶滅危惧種級の大衆食堂

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高崎市街地から榛名エリアにつづく国道406号は果樹園の直売所が並ぶことから“フルーツ街道”と呼ばれる。実はこの通りは複数の絶メシ店が点在しており、絶メシ調査隊員の間では“絶メシ街道”の異名を持つ。そんな(絶メシ的に)由緒正しい通り沿いで古くから営業を続けるのが「冨士久食堂」だ。なんでもこの食堂、これまでの絶メシとは違って、親子三代で営んでいて後継者がバッチリ決まっているのだという。こ、これは絶メシ界の救世主! ということで、早速調査である。

(取材/絶メシ調査隊 ライター名/船橋麻貴)

“絶メシ街道”で出会った
橋田ドラマ的な大衆食堂

写真ライター船橋

「3度のメシよりもメシを愛するライター船橋です。でも、ダイエット中です。苦しいです。計量前のボクサーみたいな気持ちです。でも今日は食いますよ〜! ええ、仕事ですから。これ仕事ですから」

そんな腹ペコライター船橋がリバウンド辞さずの強い意思とともにやって来たのは、果樹園の直売所が並ぶ“フルーツ街道”、いや我々調査隊的に言うところの“絶メシ街道”に佇む冨士久食堂だ。

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“フルーツ街道”改め“絶メシ街道”にポツリと佇むのが「冨士久食堂」である

店頭には精巧な食品サンプルが並ぶ。あんかけの照り感がいい。

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食品サンプルがズラリと並ぶ。腹ペコ船橋的には、これだけでメシ5杯いける

そして店内に入るとL字型のカウンター席にテーブル席。いかにもうまいメシが出てきそうな食堂の趣きだ。

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創業当時から大切に使ってきたメニュー札も健在

うまいメシには鼻の利く我らが絶メシ調査隊。うまいものセンサーをビンビンに働かせながら、こっそりと厨房を覗き見。するとそこには、どことなく顔の造形が似通った面々が!

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冨士久食堂を営む齊藤ファミリー。厨房から活気があふれだしている

齊藤昭夫さん(店主)、政子さん(妻)、英昭さん(息子)、大斗さん(孫)の4人衆。ここ冨士久食堂を切り盛りする齊藤ファミリーである。そうここ冨士久食堂は親子三代仲良く営むお店。橋田壽賀子先生のドラマの舞台になりそうではありながら、家族間のゴタゴタとは縁遠そうなほんわかした食堂だ。

18歳アルバイターが3年で独立
以来、半世紀以上続く長寿店に

冨士久食堂は、1965年に昭夫さんが妻・政子さんと一緒に始めた店。現在は、息子で二代目の英昭さんと三代目の大斗さんが中心となり、店を切り盛りしている。

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東京のホテル内のレストランでの修業経験を持つ二代目・英昭さん

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二代目・英昭さんの息子で三代目となる大斗さん

写真ライター船橋

「親子三代でお店を営んでいるだなんて…! まさに絶メシ界の希望の星ですよ。そんなお店の歴史を紐解きたい! というわけで、お店を始めたきっかけを教えてください」

写真昭夫さん

「ずっと昔、高崎の柳川町に『冨士久食堂』という店があったんです。私は18歳の頃からそこでアルバイトをしていてんですよね。で、3年くらい経ったある日、支店という形でお店を出さないかという話があって、とんとん拍子で独立しちゃったんです」

写真ライター船橋

「え、18歳ではじめたアルバイト店で、たった3年で独立!?」

写真政子さん

「昭和は、そういう時代だったんですよ。とにかく勢いがあった。本店にあたる『冨士久食堂』は、もう4年くらい前になくなっちゃったし、私たちのようにのれん分けされた支店も4軒くらいあったけど、もう軒並み閉店。だから『冨士久食堂』は、結局うちだけになっちゃったんです。最初は群馬八幡に店を構え、それから何度か移転を繰り返してます」

写真ライター船橋

「なるほど。昭夫さんは、21〜22歳で店主ってことですよね。かなり若いですけど、不安とかなかったんですか?」

写真昭夫さん

「ぜんぜん。開店当初はお金ないし、お客さんはなかなか来ないしで大変だったけどね。それでも当時の群馬八幡には工業団地があったから、夜一杯飲みがてらごはんを食べに来てくれる人が増えていったんです」

写真政子さん

「そうそう、懐かしいね。お客さんが将棋なんかをやり出すもんだから、なかなか帰ってくれなくてね。夜中の1時2時までやっているなんてこともよくあった」

写真ライター船橋

「えっ! 正直、仕事の邪魔というか、早く店じまいしたくならないもんですかね?」

写真昭夫さん

「ううん、ぜんぜん。一緒に将棋を指してましたからね。楽しかったなぁ」

写真政子さん

じいちゃん(昭夫さん)は、いい加減だからね

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いい加減だと言われてうろたえる昭夫さん

写真政子さん

「それでね、最初に独立してから5〜6年経ったころ、私の実家がこの界隈にあるんですけど、高崎八幡まで通うのもしんどいし、当時の店は手狭だったということもあって、この辺りでお店を出そうということになったんです。それが今から33年ほど前かな」

写真ライター船橋

「ほほう。今では絶メシ店もたくさんありますけど、当時のこの辺りはどんな感じだったんでしょうか?」

写真政子さん

「当時はなんにもなかったんです。辛うじて果物屋さんはありましたけど。そんな寂しい場所にお店を出すって話になったとき、じいちゃんは度胸がなくて乗り気じゃなかったけども」

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当時を回顧しながらも、今度は「じいちゃんは度胸がない」と言いながらご主人をじっと見つめる政子さん

写真昭夫さん

「……………(ちらり)」

写真ライター船橋

「昭夫さん、無言で私に助けを求めないでください(笑)。そんな人通りの少ない場所での再スタート。当初はどうでした?」

写真政子さん

「それがなんと、お昼時には列ができるくらいで(ドヤっ)。とくに土日は、お昼の11時~夕方の6時ころまで、呑んで食べてで入り浸るお客さんがいつもいたんですよ。ありがたいことに」

写真ライター船橋

「政子さんの思惑通りじゃないですか! これじゃ昭夫さんも頭が上がりませんね!」

写真昭夫さん

「(ニッコリ)」

とにかく忙しくて働き通しだったという昭夫さんと政子さん。アルバイトを雇ったりしながらも、多忙な日々を乗り越えたという。そして東京のホテルのレストランで働いていた次男・英昭さんが、1990年代初頭、結婚を機にこの店の次なる担い手となるべく、舞い戻って来たのだった。

初代よりも腕はいい?
イケメン3代目の調理技術

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4人での会話のMCとなるのは、やはり政子さんである

ここで一旦、今回の取材にご協力いただいたみなさんの年齢をご紹介しよう。初代・昭夫さん=74歳、初代の妻・政子さん=70歳、息子の二代目・英昭さん=47歳、孫の三代目・大斗さん=25歳。なお、三代目・大斗さんは、既婚かつ子持ちである。つまり昭夫さん、政子さんは70代で曾祖父母、英昭さんは40代で祖父。そう、この「冨士久食堂」の齊藤ファミリー、全員が全員、極めて早い結婚・出産を成し遂げているのだ。

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かつてバンドのボーカルをしていたという三代目・大斗さん。今風のイケメンである

写真ライター船橋

「三代目の大斗さんまで結婚済で、子持ちですか。えっと、そういう家訓でもあるんでしょうか?」

写真大斗さん

「いえいえ。ただ僕は小学生のころから早く結婚したかったんですよね。もうこれは、DNAですかね(笑)」

写真ライター船橋

「その遺伝子、私に組み換えしてください(真顔)。とはいえ、大斗さんは25歳と大変お若いですけど、お店を継ごうってことになったのはどうして?」

写真大斗さん

「えっと…。僕は昔から料理が大好きで、大学在学時から海鮮居酒屋でバイトしていたんです。長男っていうのもあるし、いずれはここを継げたらとは考えていたんですけど、まぁ、いろいろあり予定が早まってしまって(苦笑)」

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絶メシ店の厨房に若きイケメン。このアンバランスさが萌える

写真ライター船橋

「まぁ、人生いろいろありますよね。昭夫さんからすれば、お孫さんまでお店を継いでくれるなんて、うれしいですよね」

写真昭夫さん

「本当に楽になりましたね(ニッコリ)」

写真政子さん

「大斗が作る料理は、とにかくおいしいんですよ。チャーハンなんかは、じいちゃんが作ると白いごはんが残っていたりするけど、大斗のはちゃんとパラパラなの。こないだは、『今日の野菜炒め、前よりもシャキシャキしていておいしいね!』ってお客さんからも評判で。もちろん作ったのは、大斗なんだけども」

写真昭夫さん

え、そうなの? オレのより美味しいって? 初めて聞いた…」

写真ライター船橋

「あきらかに落ち込んでるじゃないですか! でもでも、大斗さんが昭夫さんの味を受け継いだからこその、評判ですからね!(必死のフォロー)」

餃子、ラーメン、焼肉、さらに丼
食いも食ったりたっぷり4食分! 

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メニューには、ラーメンや丼もの、定食が名を連ねる。どれもおいしそうで迷ってしまう…

昭夫さんから英昭さん、そして大斗さんへと脈々と受け継がれた「冨士久食堂」の料理の数々。メニューは半世紀もの間、ほぼ変更はないというが、中でも餃子は、古くからお客さんの多くがオーダーする人気の逸品だそう。それは気になる…一刻も早く実食を(なんせ腹ペコなんで)。

まずは餃子から。

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餃子(300円)。美しいフォルムに思わずうっとりしてしまう

ぐふふ。

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どうしよう、ニヤけが止まらない!

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ジューシーでありながら野菜もたっぷりイン

写真ライター船橋

「ぎゃー! これは激うまです。皮は薄めで野菜がたっぷり。ニンニクがしっかり効いていて、食べているうちからどんどん食欲が湧いてくるノンストップ系。これはもうリバウンド不可避」

写真政子さん

「おいしいでしょ? うちのは皮も自家製なの。あとよく出るのは、にらたまラーメンとかかな」

写真ライター船橋

「政子さま〜、それもおねっしゃす〜」

いやっほ〜〜〜〜い!

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にらたまラーメン(680円)。スープはレンゲも浮く浮力

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瞳孔開きっぱなし

写真ライター船橋

「スープ、とろっとろやないかーいっ。玉子、ふっわふわやないかーいっ。しょう油ベースのスープもコクがあって最高! し、しあわせ~」

写真政子さん

「いい食べっぷりねぇ。あとは、焼肉定食もよく出るかな~」

写真ライター船橋

「うぷすっ。なぬぅ、や・き・に・く、ですと!?」

3皿目、やってきました〜

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ボリューム満点の焼肉定食(900円)。ライスと味噌汁、お新香がついてくる

カロリー吸収!

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よし、自宅の体重計は捨ててしまおう!

写真ライター船橋

「甘辛いタレが肉に絡んでちょーうんめぇ。米がすすむ、すすむぅ~!!! いやぁ今日は満足満足♪」

食べてる間、ずっとこの顔。

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もうどうにでもな〜れ!

3皿食べてもまだまだ行けそうな船橋。ほんま、お前よう食うな……。しかし、まだこれでは終わらなかった。

船橋、うしろー、うしろー!

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笑顔のライター船橋の後ろで、政子さんによってそっと運ばれるのは、も、もしや…?

シメのかつ丼。

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カツ丼(800円)。やはりシメは丼である

写真政子さん

「カツ丼です。これもよく出るのよ♪♪」

写真ライター船橋

「(パクっ)うめぇえええええ! お腹が10分目だけど、ちょーおいしいっ。タレの甘みとジューシーな肉、そしてふっくらとしたごはん。口の中で素晴らしい三重奏を奏でているぅ~」

後継者問題とは無縁!
「財産は子どもや孫たち」

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親子三代で働く厨房の図。どこにでもあるようでない「家族の風景」

もの静かで笑顔の素敵な昭夫さんと、元気で快活な政子さん。そんな2人が始めたお店を受け継ぐ英昭さんと大斗さん。たった2人で始めたお店が地元の人に愛される名店となり、息子そして孫へと継承されていく。店を始めてから半世紀あまり。今でもお店に立つ心境はいかに?

写真政子さん

「自分たちで始めたことだし、お店に出るのをイヤだなんて思ったことは一度もないですね。なんせ店を建てる時にできた借金もあったし、返さないといけなかったしね(苦笑)。死ぬほど働いたわりにお金はそんなに残ってないけど、子供にも孫にも恵まれた。私たちの大切な財産になっていますし、それだけでうんと幸せです」

写真昭夫さん

「私も同じ気持ちです。息子ましてや孫までも店を継いでくれるなんて思いもしなかったので」

孫まで引き継がれた冨士久食堂の味。そんな中、三代目・大斗さんは、昭夫さんの味に新しいエッセンスを加えた新作メニューを、目下考案中なのだとか。味と看板を継承しつつ、自身でもチャレンジを忘れない。素晴らしいスタンスではないか。

跡継ぎがおらず、後継者問題に直面しているお店も多い昨今。父から息子、そして孫へと親子三代に渡ってバトンを大事に渡しあう冨士久食堂は、間違いなく高崎絶メシ界の希望の星である。

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取材・文/船橋麻貴
撮影/今井裕治

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