極上の田舎メシ魚籠屋

No.10

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囲炉裏を囲んで新鮮な渓流魚を
榛名山中で味わう 極上の田舎メシ体験

高崎市内から国道406号線を車で30分ほど進んだ、パワースポットで知られる榛名神社のほど近く。全国的にも非常に珍しい渓流魚料理専門店の「魚籠屋(びくや)」は、そんな榛名山中に店を構えている。創業は昭和47年。渓流魚のなかでも、特に岩魚(イワナ)と山女魚(ヤマメ)に絞って、こだわりの田舎料理を食べさせてくれるという。そもそもどうして渓流魚の専門店を開こうと思ったのか? そして、どうして岩魚と山女魚にこだわっているのか? その謎を解き明かすべく、絶メシ調査隊は榛名山中へと向かった。

(取材/絶メシ調査隊 ライター高柳淳)

子どもの頃は
「店なんて継ぐものか」と思っていた

写真ライター高柳

「みなさん、お元気ですか? 絶メシ調査隊員の高柳です。ネット界隈では釣り師と呼ばれています。さて、今回お邪魔させていただくのは、日本でも専門店としては数店ほどしか存在しない岩魚と山女魚を美味しく食べさせてくれる『魚籠屋』さんです。外観からして、秘境感がすごいです」

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Tシャツ+短パン+スニーカー、そして古民家

藁葺き屋根の立派な木造建築。周囲を取り囲む鬱蒼とした森林。外観もすごいが、店内に入ったら、もっとすごかった。

異世界。

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まず目につくのは大きな囲炉裏。柱には燻された岩魚がぶら下がっている

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さらに店内には渓流を模した人工池が。ここには生きた岩魚が大量に泳いでいる

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界隈で採れたキノコや野菜も販売中。これ間違いないやつ

土間の温もりや沢水の音の心地よさ、そして薪がメラメラと燃えるかすかな音やその煙。店内へ一歩入ると、異世界というか、遠き日の田舎の光景が広がっていた。

店主を務めるのは、2代目の新井正生(まさき)さん。ゆっくりと物腰やわらかく話す姿には、自然とともに生きる“山の男”のような存在感がある。これは都会の飲食店にはない素晴らしい話が聞けそうだ。

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北里大学で大学院に進学するほど学業に専念した後、店を継ぐ前までは国内大手の種苗メーカーでサラリーマンをしていたそう。そんな安定した職を蹴ってまで店を継ごうとした理由も気になるところ

まず気になったのが魚籠屋(びくや)という店名。このなかなか読めない漢字を店名に据えたのは、どういった意味があるのだろうか。

写真2代目 正生さん

「魚籠(びく)とは釣った魚を入れておく籠(かご)のことで、釣り人にとっては幸せや満足感、遊び心や思い出などを詰めこむものなんです。創業者である父の渓流釣り好きが高じてはじめた店なので、こう名づけました」

写真ライター高柳

「渓流好きが高じて始める店にしては立派すぎますけど」

写真2代目 正生さん

「いやいや、いきなりこんなスタイルになったわけじゃないですよ。この店をはじめる前は、川魚の養殖を行って渓流魚専門の釣堀をやっていたんです。当時の川釣りといえば、ニジマスが主流だったのですが、父はあえてマイナーな岩魚と山女魚をメインにすえてね。主流派の人たちからは『バカだなぁ』なんて見下されることもあったのですが、他にはない目新しさが珍しがられて大繁盛。私も小学校1年生から4年生くらいまで、釣堀で店番をさせられたもんですよ。ええ、ひとりでね」

写真ライター高柳

「小1で、ひとりで店番をしてたとか、今だと大問題になりそうですね」

写真2代目 正生さん

「そうですねぇ。店番なんてまだいいですよ。あれは小学校高学年になってからかなぁ、台風が来て養殖場を直撃して魚が何万匹も死んだことがあったんですよ。その“遺体処理”を僕一人でやらされてね。あれは10月くらいだったと思います。水温なんて12℃くらいしかないし、胸辺りまである胴付長靴なんてものもなくて、海パン一丁で養殖池に入って、何万匹もの岩魚の死骸をすくいに行かされましたから。あれはなかなかの経験でしたよ」

写真ライター高柳

「そこまでの経験をして、よく店を継ごうと決断されましたね」

写真2代目 正生さん

「いやいや、子どもの頃は『絶対にこんな店、継ぐもんか!』って思ってましたよ(笑)」

そんな将来の2代目となる正生少年の活躍もあってか(?)、釣り堀から始まった商売は評判を呼び、父親は新鮮な渓流魚料理が食べられる飲食店を手がけるように。それが魚籠屋の始まりだった。

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この雰囲気で絶品の川魚料理をいただけるなんて

写真ライター高柳

「継ぐ気はなかったのに、こうやって今は2代目として看板を守ってらっしゃるわけですが、なにかきっかけのようなものはあったのでしょうか?」

写真2代目 正生さん

「ひとつは昔、カーナビが出始めのころに、ふと実家の住所を入れてみたんですよ。そしたら、『魚籠屋』って出るわけです。他の店とか全然出てないのに。それで、『親父、すごいな』ってシンプルに思って」

写真ライター高柳

「カーナビきっかけで?」

写真2代目 正生さん

「もちろん、それでも継ぐ気にはなれなかったですよ。ただ、大人になるに連れて、すごい店だということがわかってくるようになるわけですよ。ざっと調べてみても、同じような業態の店、日本で3軒、4軒くらいしかないですし」

写真ライター高柳

「めちゃくちゃ貴重じゃないですか」

写真2代目 正生さん

「ちゃんと調べたらもっとあるのかもしれないけどね(苦笑)。でも、そうとう変わった店であることには変わりない。で、30歳を過ぎたある日、親父から『正生、この店、ブルドーザーで潰そうと思っているんだ』って電話がかかってきたんです。当時、種苗メーカーの社員として、仙台でサラリーマン生活を送っていたんですけど、さすがに『ちょっと待て』となり…」

写真ライター高柳

「『店をたたもうと思っている』ではなく『ブルドーザーで潰そうと思っている』って言うところがまた(苦笑)。まぁ、それは止めますよね」

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話している最中も囲炉裏では岩魚が焼かれている。店内の池で獲られた直後に串焼きに岩魚ちゃんだ

写真2代目 正生さん

「そのとき、親父は糖尿病になってしまっていて、足を切るかもしれないってときだったんですね。だからもうブルドーザーで店を跡形なく潰そうと思うんだと。そうやって親父から言われて、“あの店がなくなるかも”って思うと、お客さんの顔が頭に浮かんできてね」

写真ライター高柳

「親父さんの術中にまんまとハメられているような気もしますが…。でも、子どもの頃からずっとお手伝いさせられていたから、やっぱり可愛がってくれた常連さんとかのこと考えると、思うことはありますよね」

写真2代目 正生さん

「大人になって、実家に帰省するたびに常連さんから。『あんちゃん、この店どうすんだい?』って尋ねられてましたからね。親父からはあまり『継げ』なんて、直接的な言葉で言われることはなかったのですけど、おそらくいろんなところから見えないプレッシャーがかかっていたんだと思います」

写真ライター高柳

「正生さん、見えてなかったのはアナタだけで、周りの人はみんな正生さんのこと跡継ぎだと思ってたんじゃないですか(苦笑)。で、すぐに継がれたんですか?」

写真2代目 正生さん

「いや、相当悩みましたよ。最終的に継ぐまで3年間の時間を必要としました。妻も反対でしたから」

写真ライター高柳

「『ブルドーザーで轢くぞ』って衝撃の告白から3年も! なんでそんなに悩まれたんですか?」

写真2代目 正生さん

「サラリーマンとしてやり残したことがあったんですよね。学生時代の恩師から、物事は“やるんじゃなくて、やり切れ”と教われていて、社会に出てからもその言葉を大切していました。限界のちょっと向こう側に行くような精神ですね。そのタイミングで、2001年のサッカーの日韓ワールドカップで使われた仙台スタジアムの芝生を張り替えるという大きな仕事を請け負うことになったんです。正直、この仕事で、僕はサラリーマンとしてやってきたすべてを出し切りました。そしてその仕事が終わったと同時に、僕はサラリーマン人生にも別れを告げることにしたのです…これでもう、思い残すことはない。その時に、実家を継ぐことを決意しました。なんかNHKのあの番組みたいな話をしてるみたいですけど」

写真ライター高柳

「大丈夫です。僕の脳内にはちゃんとスガシカオさんのあの名曲が流れてます」

同じ岩魚でも食べ方が違えば
その味はさまざま!

そんな正生さんが2代目として営む魚籠屋の料理に、俄然、興味が湧いてきた。きっと店の経営はもちろん、調理にも“やり切り精神”を注ぎ込んでいるはず。今回は岩魚の山椒味噌焼き(760円)、岩魚の相盛/半身たたき・半身刺身(2270円)、古式上州盛り蕎麦(1050円)を注文して、その味を堪能してみた。

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従来の田舎料理のイメージを覆す、彩り豊かな料理たち。ひとえに川魚といっても、たくさんの食べ方がある

絶品の川魚料理、いただきます!

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まずは薪のおき火でこんがり焼いた岩魚から

写真ライター高柳

「じっくり時間をかけて焼いているので、頭から骨まですべて食べられるんですね。いやぁ、美味しいです。それに川魚って塩焼きのイメージがありますけど、味噌焼きというのも面白い」

写真2代目 正生さん

「塩焼きは時間が経つとべっちょりとしちゃうので、時間が経っても美味しく食べられるよう味噌をつけて焼く。これ、昔からある山師の知恵ですね。うちは山椒を入れた味噌を使っているので、ピリリとアクセントが効いて、よりいっそう美味しくいただけるような工夫をしています」

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川魚の刺し身。貴重である。刺し身は一回、酢にくぐらせてから醤油でいただく

写真ライター高柳

「この岩魚の刺し身とたたきも絶品ですね。刺し身の方は川魚とは思えないほど脂が乗っています。かといってもちろんしつこさもない。あと、たたきの方は大葉やネギがほどよいアクセントになっていて、さっぱりといただける。同じ素材を使っていても、まったく違う味わいを楽しめます!」

写真2代目 正生さん

「岩魚は焼いても美味しいんですが、こうして生で食べても美味しいでしょ。焼き用の岩魚のふた回りほど大きいサイズのものをつかっているので、脂もしっかり乗っているんですよ」

写真ライター高柳

「お蕎麦もコシがあって最高ですね。昔、おばあちゃんが作ってくれた懐かしい味がしました。ツユが独特の味をしているのですが、これは何の味なんでしょうか?」

写真2代目 正生さん

「よく気づかれましたね。この蕎麦のツユは岩魚や山女などの川魚から出汁をとっているんですよ。最後に温かい蕎麦湯で割ると、岩魚の出汁の香りがフッと立ちますから、それもご堪能ください」

店を続けられるかどうかは、
私たちの背中にかかっている!

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これぞ本物の“炎の料理人”だ

料理にも、そして生き方にも強い精神力を感じさせる魚籠屋。正生さんが考える、魚籠屋にとっての“やり切る”とは何を意味するのだろうか? 後継者のことを含めて聞いてみた。

写真2代目 正生さん

「お店の“やり切る”は、続けることだと思っています。料理の内容、サービス、常にチャレンジ精神を忘れないで店を続けていきたいですね」

写真ライター高柳

「お店を続けるにあたって、次の架け橋となる後継者はすでにいらっしゃるのでしょうか?」

写真2代目 正生さん

「3人の息子がいるんですが、いまのところ継ぎたいという子どもはいないですね。ただ、私が子どもの頃と同じように手伝いだけはさせています。次につなげられるかどうかは、私たち夫婦が子どもたちにどんな背中を見せられるかにかかっていると思います。あんだけこの店を嫌っていた私が店を継ぎたいと思ったのも、親父とお袋の努力の勝利だと思っていますからね」

写真ライター高柳

「正生さんご夫妻の背中、ちゃんと息子さんたちも見ていると思いますよ」

写真2代目 正生さん

「そうだといいんですが…。まぁ、本当にやり切ったかどうかは自己満足の世界だとは思います。でも、まずは息子たちが継ぎたいと思えるような店にしないと。ここからが私と妻の努力が試される期間になるでしょうね」

これだけの山の中で店を続けていくには、並々ならない決意と努力が必要であろう。そんな初代の生き様を正生さんは見て育ち、時に継ぐことを拒否しながらも、その生き様に導かれるように、今こうして看板を背負っている。榛名山中に佇む川魚料理専門店、魚籠屋。車を走らせても食べに行く価値のある店のひとつである。

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取材・文/高柳淳
撮影/今井裕治

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